最終更新日時:2024年03月28日 09時30分

2010年1月31日の活動

  

衆議院議員 枝野幸男氏オープンミーティング。
 今の日本やアメリカに他の国から学ぶ見本はない。
 与党になると、役所や色んな所から言われて、ちょっと間違えると、無駄を削るより、予算を付ける事が仕事だと感じている国会議員が若干いる事が国民の皆さんに伝わっているように思う。オラが村に予算を持って来る事が仕事ではない。この予算が必要だから、今よりも税金を1万円増やさせて下さいと言えるかどうかが大事。
 この国を悪くしたのは、財務省と内閣法制局。優秀な官僚達が、憲法解釈は変わっていないと、辻つま合わせをして来た。
 事業仕分けについては、1時間何10万円も講師料を取れる人達が、費用弁償を返上して夜6時半までを8時までやっていた。デコボコはあっても決してマイナスな事は無い。
 国民の年収は半数以上が100万円下がっているが、誰かが得をしている。
 政治とカネについて。刑事問題と政治問題は分けて考えなければ。小沢さんの事について、疑義があるのは確かだ。過失によるミスは犯罪に当たらないが、意識的に隠そうとしたら、刑事事件でどうなるかは別にしても、納得出来る説明するのは当然だ。一方的に話すのは説明ではない。細かく質疑を受けるべきだ。
 これからの政治リーダーは、選挙で勝つ事よりも、国民に自分は我慢しようと思って頂ける事が大事だ。強いものに媚びない。ぶれない。
 団体献金をやめるにはエイヤアとやるしかない。無くなる事は構わない。やめて圧倒的に困るのは、自民党だ。個人献金に値しない議員が多い。企業献金があるから、個人献金が入らない。パーティをやって下さいと言われる。細野議員は個人献金のみでやっており、早く法案をやろうとしている。
 増税。所得税の累進課税を強化すべき。
 与党。多数だから何をやってもいいと言うものではない。数と言う考え方は間違い。基本はコンセンサス。どうしようもない時に数で決める。
 メディア。内閣が論評すべきでない。メディアよりも、国民の見識のほうが成熟しているので、メディアに引っ張られない。

五十嵐衆議院議員と会合。
本木県議会議員新年のつどい。
支援者交流。

2010年1月30日の活動

  

本庄市議会議員選挙手伝い。出陣式運営・選挙カーに乗り、マイクで応援。

2010年1月29日の活動

  

狭山市赤十字奉仕団。
会派会議。来年度予算の概要説明を財政課長から受け、質問。

2010年1月28日の活動

  

議員と意見交換。
教育関係者と会合。
市民相談。
 ①税金が高くて、借金しながら払っていて大変である。
 ②後期高齢者医療制度は、75才の誕生日以降から、それまでの健康保険税から後期高齢者医療制度に変わるので、その年は、健康保険税を払い終っていたはずなのに、また誕生日以降、振込み用紙が送られてきて分かりにくいが、その説明資料が負担者に示されていない。
 →担当課長と話したところ、分かりやすい簡潔な説明文を加える事に。

2010年1月27日の活動

  

本庄市議会議員選挙手伝い。選挙カーに乗り、マイクで応援。
新座市で上田きよし後援会新年総会。わざわざ私の名前を紹介して下さいました。
知事発言:
 「アメリカは経済成長している中、日本は1995年を境に経済が伸びていない。サラリーマンの平均年収は650万から550万円に100万円下がった。所得の中央値でも、所得層が多い450万円から350万円に下がった。日本は100万円取り返すだけの力をもう一度付けなければならない。
 国は大き過ぎるが故に、ガバナンス(統治)が効かない。
 埼玉県では、赤字だった埼玉高速鉄道を3年で今年度黒字に回復させた。
 さいたま新都心には、国の出先機関が17省庁ある。そこからわざわざ各県に行くなら、その財源・権限を渡せ。
 経済危機の時もショックを小さくする事が出来る。県では今年度公共工事費(真水)を3割増やせた。
国も、エコに全力を集中すべき。埼玉県はソーラー整備で日本最大。
 日本は敗戦後、アメリカの基地がいつまであるのか。
 自民党は、政権が変わっても開き直ってはいけない。私は前知事の批判はしていない。
 国の地域主権戦略会議のメンバーに入れて頂いた。言いたい事をいっているので、はずされると思ったが。
 ゆとり教育を始めたら、10年で不登校が15倍増えた。
 高校生の作文で感動した言葉があった『夢は逃げない、逃がすのは自分自身だ』と」

労働組合会合。

2010年1月26日の活動

  

議員と意見交換。
資料調査。

2010年1月25日の活動

  

市議会代表者会議。
議員全員協議会。
市議会文教厚生委員会協議会。

今日、市から国民健康保険の状況と今後について説明があると発表があったのは先週21日。
 やはり値上げしたいのか。その為の地ならしか。私はこの厳しい経済情勢の中、値上げ出来る訳がないと反対します。
 国民健康保険税は2年前も増税しました。1年前には介護保険料も値上げました。狭山市は県内で3番目に財政が豊かにも関わらずです。それは大きな無駄遣いがあるからに他なりません!
 税金を納められない市民が年々増えて来ている事は市も認識しています。後は議会の動き次第です。

今日議会事務局から私の事で「議員になって15年になるので、国・県の議長会からそれぞれ“表彰”される」との事だったので、私から「表彰には税金や労力がかかるので、お断りする事は出来ますか?」と聞いたら出来るとの事だったので、お断りしました。
 何年やったかが大事ではなく、何をどれだけやったかが大事だと思っているので、15年間の市民の皆さんのご支援に感謝し、今後精進していきます。

2010年1月24日の活動

  

本庄市議会議員選挙手伝い。出陣式運営・選挙カーに乗り、マイクで応援。
市民相談。
地域住民懇親会。

2010年1月23日の活動

  

議員と意見交換。
教育関係者と意見交換。
支援者会合。

2010年1月22日の活動

  

教育関係者と意見交換。
市職員と意見交換。
商店主と意見交換。
市民要望対応。

2010年1月21日の活動

  

市議会文教厚生委員会。
小中学校の耐震補強工事と統廃合
 学校がある事による年間のコストは約3千万円、その他に建物の改修工事などでどのくらいのコストがかかっているのか保護者の皆さんに説明する事が、学校統廃合をする上で必要な事のひとつだと思うがどうか?
 耐震補強工事費用は概算で、東中に7億1千万円、入間中に4億1千万円かかる。市では入曽地区・入間川地区の中学校各1校を統廃合する計画で、来年度・再来年度予定していた東中・入間中の耐震補強工事を1年延期し、簡易補強工事のみ行う。来年度、2地区の学校・保護者と、統廃合について協議していきたいと市から報告があった。また、延期した耐震補強工事の代わりに、体育館の耐震補強工事を1年間前倒しして実施するとの事。
 耐震補強を延期する学校には非公式に伝えたとの事だが、私からPTA会長などにも、伝えたほうがいいと指摘。

議会研修会。山梨学院大学 江藤教授。
 講師が狭山市や市議会の現状を聞く度に、その体質の古さに「そんな状態なのか」と驚かれていました。
西口開発事務所。3月オープンにも関わらず、未だ商業テナントは、6割しかうまっていないとの事。
夜は議会新年会。

2010年1月20日の活動

  

会派会議。

人権問題講演会「ひとつしかない命 ~1リットルの涙~」 講師 木藤潮香氏。
 講演中「子供は、いじめられているレッテルに、あわれみを求めるみじめなレッテルを貼りたくないから、ふざけてごまかす」と言う言葉が印象に残りました。

福祉課長。地域福祉計画素案について意見交換。
<ひろしの質問>
 ①市の何かの計画を作る時にいつも言っている事だが、計画を作る上で、コンサルタント会社に何の為に委託するのか?市職員は優秀な人が多いので、職員だけでつくる事が、やる気につながり、困難な計画でも実行されていくのではないか?
 ②社会福祉協議会職員の業務について質問。生活保護などの相談員(ソーシャルワーカー)が不足しているのであれば、社協職員に担って頂いてはどうか?(社協は市の補助金が無ければ存続は不可能で)市職員には異動があるが、社協に無いのであれば、継続した相談が出来るのではないか?

衆議院議員と意見交換。

2010年1月19日の活動

  

市職員と意見交換。
市民要望対応。

2010年1月18日の活動

  

市民要望対応。
資料調査。
友人の衆議院議員(事業仕分けメンバー)と電話で意見交換。
写真家宅訪問。

2010年1月17日の活動

  

衆議院議員と会合。
会派会議。
商店主とまちづくりについて意見交換。
写真作家協会展。

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フジTV『神戸新聞の7日間~命と向き合った被災記者たちの闘い~』を見ました。
 「生き埋めになり、生きたまま焼かれた人たちの叫び声やうめき声は15年たった今も耳を離れません」という神戸市長田区の方からも反響があったそうです。
 阪神大震災で、倒壊した家屋に閉じ込められた3万5千人。今年は防災対策に更に気合を入れます。

2010年1月16日の活動

  

支援者訪問。

東京家政大学主催 「生」と「死」を考える講演会。
Ⅰ、「いのちを全うすること ~在宅ホスピスの充実をめざして」アルフォンス・デーケン先生講演
 ユーモアの重要さ。(ご自身の体験)反ナチ運動を発見されたら射殺されるが、父はそんな活動をしながらも皆を笑わせる。人間は笑う事の出来る唯一の動物だ。
 ユーモアがあれば、中学校でのいじめはなくなるのではないか。
 看護士は忙しくても、患者さんに微笑んで「無言のコミュニケーション」を取る。
 日本語がまだ話せなかった時、日本人と接する基本はうなずく事、「そうですね」と言えばいいと教わり、日本の家でご飯をご馳走になった後、「お粗末さまでした」と家の奥さんが言った時うなずいて「そうですね」と言った。
 (講演を聴いて、やさしい気持ちになりました)(遅れての参加だったので、最初からお聞きしたかったです)

Ⅱ、「末期がん患者 なぜ在宅なのか」クリニック川越院長 川越厚先生講演
 年をとればとるほど、家で生活する事を好む。
 なぜ家がいいか?→いつもそばに居て欲しい人がいる。自由、門限が無い、妻の手料理、タバコ吸う、コーヒー飲む、居間で寝れる・・・。家なら、人間として生きられる。患者が誰か分らない。
 病院にいたら役割が無くなる(子供の宿題を見られる。猫の面倒をみられる)。家なら希望がある。仕事を最期までする事が出来る。
 02年12月6日読売新聞 中学生「家族や命の大切さなどを自分の死をもって教えてくれた。それが祖母からの最後の愛だったのだろう」
 在宅ケアの基本は“和解”。人間関係の修復が出来る(医療者がきちんと入れば)。
 猫は患者さんのそばから離れなかった(体が冷えて来ているのが分かる)。後どのくらいで亡くなるか分かる。
 ホスピスで死にたい医師・看護士はいない。
 経済的負担が入院より軽い。「在宅は高くつく」は大間違い。20年前はそうだった。
 1人暮らしの4割は、家族の力を頼れない人。1人暮らしでも医療者が頑張れば出来る。
 医者が患者と将棋をして、肝性脳症である事が分かった。
 在宅医療はガン以外のほうが圧倒的に多く、ガンの在宅医療とは違う。ガンは2ヶ月弱。症状が安定して死を迎える。
 患者さんが精一杯頑張られている時、頑張れと言ってはいけない。
 スピリチャルペインが大事。
 納得のいくやり方で「死を創り出す」事が出来る(柳田邦男)。自分の家で死ぬ幸せを。
 医療法人パリアン(ラテン語 パリウン=旅人にかぶせる布。暖かく覆い包むと言う意味)在宅でホスピスケア出来たら、最高のケア。2000年設立。昨年185人亡くなる(国内平均100人)。
 家族へのケア レスパイトケア 1~2週間入院。デイケア。ボランティアによって家族のケア。
 ブリーフケアのないホスピスケアはあり得ない。亡くなった直後から始まる。寄せ書き(医師・看護士)。(患者が若い場合危機)看護士1ヵ月後訪問(別のプログラムも)。1年後ボランティアが「命日カード(手紙)」。年1回遺族の同窓会。喫茶店を開く。

2010年1月15日の活動

  

公民館セミナー 世田谷ボランティア協会理事長。講演後、意見交換させて頂く。
高齢者支援課長。

2010年1月14日の活動

  

会派会議。
教育総務課長。統廃合担当課長。
議会事務局。私から提案。
住民相談対応。

2010年1月13日の活動

  

朝から「六甲おろし(歌じゃないですよ)」のような風が吹いたので、市内を車でパトロール。
 15年前の阪神大震災の時、神戸にいて初めて六甲おろしを体験し、余震もある中だったので何が起きているのか分からず、天変地異でも起きたのかと思いました。

市民相談訪問。
市政苦情聞き取り。
地域住民相談。
同級生宅訪問。
市内企業の期間工だった方と会合。

2010年1月12日の活動

  

地域住民相談対応。
議員と意見交換。

2010年1月11日の活動

  

成人式。
 狭山市の新成人1704人。今年は東中出身の新成人は、石井先生の募金活動を現役中学生の中心となって関わった生徒でした。東中出身者など知り合いに直接おめでとうと声をかけました。
 式典中、五十嵐衆議院議員の挨拶で、20才代が感じる“1年の早さ”と、60才代の感じ方が違うのは、20才の人にとっては、1年が20分の1なのに対し、60才にとっては1/60なので、年齢によって感じ方が違うのだと言う話は興味深かったです。

衆議院議員に資料提出。
地域住民相談対応。
商店訪問。
高齢の方々と意見交換。

2010年1月10日の活動

  

消防出初式。
 県の防災ヘリが救助訓練を見せるなど、命がけの仕事が感じとれ、思うところがありました。消防関係者に感謝。
 一方で、民主党の国会議員・県会議員は、市主催の消防出初式に呼んでいないとの事(自民党の国会議員はこれまで来ていた)。自民党の県会議員は市が呼んで、来ていましたが。昨年、民主党の県会議員が来ていなかった事に疑問を持たれた市民の方から、市の対応はおかしいとの声を頂きました。

地域住民相談・対応。

2010年1月9日の活動

  

地域農業者と意見交換。
友人の本庄市長(42才)の選挙事務所開き応援。
本庄市議会議員宅訪問。

2010年1月8日の活動

  

議員と意見交換。
市民要望対応。
支援者訪問。

2010年1月7日の活動

  

市民要望対応。
市職員と意見交換。
商店主と意見交換。

2010年1月6日の活動

  

教育関係者と意見交換。
議員と意見交換。
市民相談。

2010年1月5日の活動

  

市民相談。
議員と意見交換。
医療関係者から教えを乞う。

2010年1月1日

  

新年明けましておめでとうございます。
昨年中は何かとお世話になり、ありがとうございました。
2010年が、あなたやあなたの周りの人にとって、よい年になりますように。
私も精進し、パワーアップして活動してまいります。
何かありましたら、何なりとご連絡頂ければ、有り難いです。よろしくお願い申し上げます。

2010年1月1日
中川 浩

今年は坂本龍馬が流行りそうですね。私は小学5年の時、四国に行って坂本龍馬の存在を知った事が政治家を志すきっかけのひとつになりました(その時買ってもらった龍馬の銅像が家に飾ってあります)。

龍馬伝

第3回放送 1月17日 偽手形の旅
第4回 1月24日 江戸の鬼小町
第5回 1月31日 黒船と剣
第6回 2月 7日 松蔭はどこだ?
第7回 2月14日 遥かなるヌーヨーカ
第8回 2月21日 弥太郎の涙
第9回 命の値段
第10回 加尾の覚悟
第11回 土佐沸騰
第12回 暗殺指令
第13回 さらば土佐よ
第14回 暗殺者は龍馬
第15回 ふたりの京
第16回 勝麟太郎
第17回 容堂動く・・・

NHK大河ドラマ特別展「龍馬伝」
○東京展
平成22年4月27日(火)~6月6日(日)
会場/東京都江戸東京博物館(東京都墨田区)
京都やゆかりの地に残る遺品や直筆の書簡類により、幕末史の奇跡・坂本龍馬の人物像と龍馬が駆け抜けた幕末という激動の時代を約180点の歴史資料で紹介。

龍馬伝HP
配役を見て驚きましたが、果たしてどんな演じ方をするのか楽しみです(注:HPで、登場人物をそれぞれ見る時、1人見たら「閉じる×」を押さないと、次見ようとした時同じ人が出ます)

私が龍馬の存在を知ったのは、大河ドラマ『勝海舟』(1974年放送)、当時私は8才でした。坂本竜馬役 藤岡弘さんが壮絶な最期(第44回)を遂げたシーンが物凄く印象に残っています。
この作品は、ビデオ発売されておらず、各県のNHK番組公開ライブラリーで総集編上下編として視聴可能との事(埼玉は川口と浦和の2か所)。

坂本龍馬は、演劇にもなっていて、狭山市出身の成井豊さんが演出家をやられている(今でもご実家は狭山市)『演劇集団キャラメルボックス』で、以前『また逢おうと龍馬は言った』と言う作品があり、大変面白かったです(DVD発売中)。龍馬役をやられたのは、今回の龍馬伝にもご出演の上川隆也さん(龍馬伝が福山さんに決まるまでは上川さんだったらと思っていました)。龍馬伝では何と“中岡慎太郎役”を演じられるとの事で、楽しみです。
キャラメルボックスを、私は学生時代から好きで、何度も観に行っており、私が顧問をつとめさせて頂いている『狭山市民劇団ステップ』でも、(偶然ですが)キャラメルボックスさんの作品は何度も上演させて頂いております。

1月3日放送BSジャパン『龍馬の暗号 最後の手紙に隠された謎~幕末最大の英雄を暗殺したのは誰だ!?~』を見ました。(番組名を見た時大した事無いかなと思ったのですが、興味深いものでした)
確かに、↑番組HPに書かれている事をはじめ、龍馬に関する不思議な事はいくつかあります。

①まず、龍馬・中岡慎太郎ほどの剣の達人で、こめかみに刀傷を受ける事(致命傷)があり得るのか?龍馬はピストルも持っていたはず。それも龍馬の誕生日になぜ殺されたのか?これまで言い伝えられた来たような外からの突然の襲撃ではなく、中に居た者・龍馬と親しかった者の突然の犯行だったのではないか?1階にいた用心棒の(相撲取り)藤吉は、口封じの為その後殺されたのではないか?
②京都は新撰組など当時街を歩いているだけで斬り捨て御免の無法地帯の中、京都に居た龍馬がそれまでなぜ(寺田屋で幕府に)1度しか襲われずに済んでいたのか?
③なぜ手紙を何度も出せたのか?
④龍馬はなぜ88日間もの新婚旅行に行けたのか?

番組が挙げた疑問点
①暗殺後、峯吉が駆け込んだ先は、近江屋のほぼ向かいの土佐藩邸ではなく、なぜ往復3時間走って(中岡が隊長の)陸援隊本陣へ行ったのか?
②脱藩した後、家族がなぜ藩からとがめられなかったのか?龍馬の脱藩は、土佐藩の命によるもので、藩の密偵だったからなのではないか?
手紙は1通平均1両、現在の価値で10万円。龍馬が出した手紙は300通とも言われ、3千万円にもなる。とても下級武士に出せる金額ではない。手紙を龍馬が(姉)乙女に送り、それを志士に渡していたのではないか。龍馬が密偵になったのは、龍馬は武士と言っても最下級の郷士なので、もし何か失敗しても、斬り捨て御免で、使い捨てにする事が出来るからではないか。
しかし龍馬の器は、密偵を上回るものだった。

長崎で有名なグラバー邸。トーマス・ブレーク・グラバーは、イギリスの武器商人として、薩摩藩に武器を売り、長州藩に英国の武器を売りつける事で日本市場の開拓を目指しており、そのエージェント(代理人)に龍馬を使ったのではないか。当時交易のないイギリスは直接商売が出来ないので、そのダミー会社として“亀山社中”を使ったのではないか。
薩英戦争は、生麦事件の報復としてでなく、イギリスが薩摩藩と貿易をしたかったのが本当の目的。
その後初代総理大臣になる伊藤博文もグラバーの仲介役だったのではないか。英国と長州藩の下関戦争で伊藤は仲介役になった。龍馬は又イギリス行使パークスの代理人にもなっていたと考えられる。
パークスにより、イギリス軍艦が土佐に現れた事で、土佐藩は開国倒幕に転ずる。
パークスの日本語通訳アーネスト・サトウ(名字からすると日本人に関係あるように思われるが全く関係ない)は、論文(『英国策論』)で、“武力倒幕”を主張。武器を売る為、内戦になるよう仕向けた。
明治維新の立役者とされる(5百円札の)岩倉具視もサトウに精通。大政奉還の日、岩倉は朝廷から幕府を倒せと命令が出たとウソをでっち上げ(『倒幕の密勅』)、討幕派を動かそうとした。
一方、龍馬は江戸無血開城に奔走。

番組が一番注目したのは、龍馬が陸奥宗光に宛てた暗殺3日前の手紙(現物)に暗号が隠されているのではないかと言う事。その文中のキーワードは短刀・脇差・長脇差。

「一、陸奥に上げようとしている脇差(情報)は(西郷隆盛が兵を連れて大坂に入ろうとしていて)大坂から使い(西郷)が帰らないから、いつになるか分らない。
一、陸奥が誰かに持って来させた短刀(短刀は、背の低い“勝海舟”の平和路線の情報)は、私があげようとしている脇差(西郷の武力倒幕の情報)より良い品物である。大坂で研いだ刀が返ってきたらお見せしましょう。
一、私の長脇差(“長州藩”の情報)を見たいとの希望、お見せしましょう
(11月)十三日 謹言
陸奥老台 自然堂(龍馬の俳号) 拝」

この手紙で龍馬は、長州が武力倒幕に傾いていると言う情報を陸奥に知らせている。
この時期は大政奉還がなされた直後で一触即発・自身の暗殺の危機も感じていたにも関わらず、なぜ刀の事をのんきに書いているのか。特に文章の不思議な所は「陸奥に“差し上げよう”としている脇差が大坂から戻って来たら、その刀を“見せよう”」と書いているところだ。

この頃、龍馬は孤立無援状態だった。
龍馬暗殺の2週間程前、サトウの日記(『遠い崖-アーネスト・サトウ日記抄』萩原延壽著)には、「今日リョウノスケが来た」と書かれた記述の所に消された跡があり、そこには「MUTUが来た」と一旦書かれており、陸奥が来たと言う事が分かる。龍馬が身内だと信じていた陸奥はサトウのスパイだった。11月1日サトウに「(武力倒幕の用意は)万事順調に進んでいる」と手紙に書いた差出人は薩摩藩士 吉井幸輔、龍馬暗殺後、現場に駆けつけた人物だ。これらの人物は龍馬暗殺についての記録を残していない。京都見廻り組の今井伸郎が事件の33年後犯行を告白。しかしその供述に異議を唱えたのが、龍馬暗殺の現場に駆けつけた(後の農総務大臣)谷干城。
事件後駆けつけた人物は、全てサトウと通じていたのではないか。
遺留品(刀のさや・下駄)は、あいまいな記録だけで、現物は残されていない。
近江屋に訪れた暗殺者とされる“十津川”は、作り話。実際に訪れたのは、事件後に来た者が全て共犯(谷干城・吉井幸輔・田中光顕・白峰駿馬・毛利恭介・中岡慎太郎)。表には見張りが立ち、事件後、土佐藩医が駆けつけた。
そして、番組では龍馬を殺した犯人は、何と、中岡慎太郎だとする。中岡は「戦火をくぐらぬ革命は無い」と主張する武力倒幕派の1人で、岩倉とつながっており、暗殺の2日前、中岡と岩倉は、薩摩藩邸の吉井を訪ねている。吉井は大久保利通の代理人。岩倉と大久保は、中岡に龍馬の暗殺命令を下し、明治政府の実権を握り、緘口令を強いたのではないか。隊長(中岡)を殺された陸援隊に何の記録も無く、犯人を探りあだ討ちした形跡もなく、2日命永らえた中岡は犯人について語っていない。中岡に付けれた30近い傷跡は、龍馬から反撃されたピストルの銃弾後を隠す為だったのではないか。
龍馬殺害に関わった人物・密偵は、ほとんど明治政府の要職についている。
サトウの日記には「全く姓名負傷の3名の男に殺害された」と書かれている。事件3日後、吉井幸輔から寄せられた情報で、吉井は新撰組の犯行と主張していたはずなのに、この日記には新撰組とする記述は無く、なぜか3名と記されている。谷・田中がとどめを刺したのではないか。

そう言われて思うのは、現物京都霊山護国神社は、明治天皇が幕末の志士達を弔ったとされていますが、明治政府の要職に就いた人物の働きかけで造られたのではないかと思ってしまいますね。

龍馬は最下級の武士の出でしたが、相手からみれば、今後どんな影響があるか分からない、それだけ大きな力があったと言う事ですね。

明治天皇から王政復古の大号令が発せられた頃、サトウの日記には「終わりの始まりが開始された」と記され、自分が仕掛けた内戦が現実のものになったが、江戸総攻撃の2日前、中止になったと番組では締めくくられている。
しかし、この後、西南戦争・会津戊辰戦争など内戦状態へと日本はなっていくんですよね・・・。

今回の大河ドラマ龍馬伝では、どのように描かれるのか、どちらにしても楽しみです。
また、これまで言い伝えられて来た龍馬の事が、伝説だったとしても、それはそれで、後世に伝えるものだと思います。

坂本龍馬のマンガ『おーい竜馬(小山ゆう作 小学館ヤングサンデーコミックス 全23巻 文庫サイズも)』は読みやすく、お薦めです。

龍馬伝を観て思ったこと

<第1回>
①桂浜にある龍馬像。昭和3年に名もなき青年達の募金によって建てられ、銅像の後ろには、個人の名前はなく、ただ『高知県青年』とだけ刻まれているとの事。
政治家は名前を残そうとしたり、銅像・建物を立てたりしますが、大事なことは、何をやったかであり、人はどうあれ私自身は、名前はどうでもいいと思っています。

②岩崎弥太郎の子供時代、鳥かごを売る為に歯を食いしばりながら担ぎ、休憩の時には本を読む(二宮金次郎のような)姿に、自分のその時とを比べれば大変恵まれた生活を送れたので、もっと頑張らなければと思いました。

<第2回>
龍馬が川の氾濫をふせぐ工事の指揮を取る事に。そこで働くのは農民。農民は龍馬に対し「わしらはおまんらを見下しちゅうがじゃ。米をつくりゆうがはワシら百姓じゃ。下士は何もしちょらん。一体おまんらは何の為におるがじゃ!わしらは畑仕事があるのに、働かされちゅうがじゃぞ。あそこに座ってああせいこうせい言うだけのおまんには、ムカムカする。土佐にいらんもんは下士と犬のクソじゃ。役立たずの侍もどきが!」と言う。龍馬は「そうじゃのう。ワシらが毎日食いゆる米はおまんらが作ってくれたもんじゃ・・・」と言って農民と同じ仕事をする事にする。
このやり取りをみていて、現代でも、世間からみた政治と行政と同じだと思いました。