2018年9月6日の活動

 

 

拉致被害者 蓮池 薫さん
 「拉致されたのは、1978年7月31日。
 工作員と戦闘員数名が柏崎に上陸し、野宿しながら、海岸で若い人を探し、運悪く、彼女と私が目に留まる。海岸の人がまばらなほうへ歩いて、タバコを吸っていると、きれいな日本語で「火を貸して」と言われ、火をつけようとした瞬間、顔面を殴られ、2人がかりで覆いかぶさられた(周りから見えないように)。彼女を売り飛ばそうとしているのか、私は海に投げられるのか?寝袋のような物に入れられ、注射・薬を飲まされ、もうろうとした。北朝鮮に到着した時には、彼女はいなかった。工作員は必ず実習を行う。
 平壌に拉致の施設は7カ所もある。「革命家になれ。彼女は日本に返した」と言われ、彼女には、男は日本に返したと言われていた。「日本に私を返してくれ」と言ったが。その後「実は彼女は朝鮮にいる。結婚するか」と言われる。彼女に色々聞こうとするが、禁止され、1週間後、朝鮮の方式で結婚式。このタイミングで結婚式させたのは、レバノン人拉致事件のせいであり、1人だと孤独で逃げたくなるからだと思う。日本語を教えさせられた。子供を作るなと言われたが、1年後、作っていいと言われ、悩んだが、生まれた。内緒で日本の名前を付けて、呼んだ。「お前はここで生まれた朝鮮人。祖父母は死んだんだ」と学校で言われる。全寮制の学校から夏休みに帰って来ると、黒い顔をして、栄養失調。学校での主食はトウモロコシ。麦ご飯も、精米をちゃんとやると量が減るので、もみ殻が入っている。
 大韓航空機爆破事件。ソウル五輪の妨害が目的だった。韓国政府は事前に情報を察知したが、工作員の男性は毒死。工作員の女性が「日本語を学んだのは、横田めぐみさん。他にも日本人夫婦がいる」私達の事で、日本からも警視庁の署員が韓国に行った。
 90年代、ソ連が北朝鮮に言わず、国交樹立。韓国よりも早く、北朝鮮で日本映画が上映。金丸氏が訪朝。日朝間の関係が出来る。92年日朝間の関係が途切れる。
 2002年帰国時、半年前から準備に入っていた。「『拉致された』と言われたら困る。『最新式のモーターボートに乗り、遭難し、北朝鮮の病院で救われた』と言うように」言われたが、「そんな話、日本人が信じる訳がない」と言ったら、「どう思われようが関係ない」と言われた。
 6月、監視の無い家に引っ越し、これまでここで暮らしていた事にするように言われる。北朝鮮が拉致を認めたので、ウソを付かずに済んだ。「子供は連れて行けない」と言われ、10月15日帰国。親族で、子供を連れに朝鮮に戻るかで、もめる。ビデオレターが子供から3回「帰って来て」。北朝鮮が望んでいるのは、国交正常化。
 帰国から16年、拉致被害者は『なんで私は帰れないんだ』と思っている。多くの方の応援をお願い致します」。(不動産協会埼玉県支部にて)

 

 

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入間基地から今(午前1時半)、✈1機飛び立ったのを、家から見送った。
 きっと『災害派遣』だろう。行ってらっしゃい✋❗頼みます。

 

 

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<6日の行動>
若手起業家と打ち合わせ。
不動産業の方と意見交換。狭山市の状況。
市民意見交換。交通政策など市政。
不動産協会埼玉県支部(大宮)。
県職員と意見交換。議会改革・交通政策。
元県議宅訪問。政務活動費問題。
県議と意見交換。議会改革。
他会派県議と意見交換。
狭山に戻り、市議と意見交換。防災対策。
工業団地役員さんと会合。
事務所。
(0時前に帰宅)