最終更新日時:2024年04月22日 09時40分

2014年3月31日の活動

  

事務所開設手続き。
年度末事務作業。

2014年3月30日の活動

  

(参加予定だった市内サイクリングフェスタが雨の為中止)
市民相談。市立学校施設の防災について。
入間市議 松本よしあき市政報告会。入間市長が挨拶。
 私からも①国民健康保険税方式のあり方②国道16号片側2車線拡幅③拉致解決署名協力のお願いについて話させて頂きました。来場されたたくさんの方が署名に協力下さいました。感謝。

2014年3月29日の活動

  

市民団体要望対応。
第5回手作りチャリティさやまーけっと(狭山市駅西口)。

拉致被害者・特定疾走者(私にとっては同じですが)家族の方々やボランティアの支援団体(救う会)による全国一斉署名活動のメイン会場として、京成上野駅前で、署名活動。11~3時まで。照りつける日差しは強かったですが、今日も4時間連続で、署名のお願いをしました。

拉致署名活動(上野)。
0329_03

写真は横田早紀江さんと滋さん。そして、埼玉県民で拉致された藤田進さんの弟さん。
チラシ5千枚は途中で無くなり、2093人の方に署名を頂きました(救う会埼玉が行ったこれまでで最大)。ありがとうございます。
 被害者家族は高齢です。72歳の方などと今日はお話ししました。
 明日から日朝協議が始まります。
(新たに立ち上げた特定失踪者支援全国一斉活動のHP、再会ネット

上野駅前での横田早紀江さん・滋さん。
0329_01

拉致被害者を救う署名用紙です。署名は1020万人を超えています。
 あなたの力を貸して下さい。
0329_02

浦和駅前で県議・市議・国会議員が活動報告。少しだけ手伝いをさせて頂きました。
県庁。
都内へ。
介護インストラクターさんと意見交換。
ICTの専門家と意見交換。私のビジョンをお話する。
学生時代の仲間と会合。懐かしい。

サッカー女子、なでしこリーグ。AS埼玉は今日、日テレと開幕戦(13時・味の素スタジアム西競技場)。

2014年3月28日の活動

  

県庁。
市内商店さんと意見交換。付加価値のあるまちづくりについて。
市内建設業者さんと意見交換。
支援者と意見交換。市のまちづくりについて。
市交通安全母の会役員さんと会合。
原稿作成(2時過ぎまで)。

2014年3月27日の活動

  

市農業振興課長と意見交換。大雪による農業被害対策。
市に問い合わせ。市防災課・道路雨水課・管理課。大雪時の対応。
市民意見交換。
大宮駅で県の観光PRを行っていると聞き、行く。
県庁。
TV埼玉撮影。
財政課副課長。県財政の推移。
県議と意見交換。①がんサポート②県立小児センター建設。
(終電間に合わず、川越市駅から2時過ぎに帰宅)

2014年3月26日の活動

  

県議会。採決。
 4月からの教育基本計画案と、県立小児医療センターの補正予算は可決されず、いつ審議されるのかも反対した会派からは何も無し。なぜ賛成出来ないかも不明確。教育基本計画が無い中で、4月を迎えるのは前代未聞。
消防防災課、副課長。①大雪庁内検討委員会が20日に開かれ、内容を確認。次は28日。
②首都圏大規模災害時の交通規制と、それに備えて、災害時車の抑制啓発。
文教委員会。
文教正副委員長と意見交換。
県議会図書室委員会(学級会みたいですが)。議会の図書室は一般の方にも開放。貸し出しは出来ないとの事。
新聞記者と意見交換。
TV局記者と意見交換。県政課題。
県幹部と意見交換。小児医療センター建設について。
夜は県職員・会派会合。
県庁。明日の原稿作成。
(終電間に合わず、川越駅から2時過ぎに帰宅)

2014年3月25日の活動

  

県議会。委員長報告。
 狭山の有料橋の無料化を求める決議案について報告がありました。委員の皆さんに感謝。
地域政策課。県としての今後の秩父観光政策について。大雪に見舞われた今こそ観光PRを。副課長に私から提案し、2度意見交換。
県秩父地域振興センターの観光政策。現在の取り組み(以下)。
・スーパーへの働きかけ
 西武線沿線のベルク・ヤオコー全店・マルエツ計約230店舗での秩父観光PR放送回数の増加要請。「林家たい平」さんなどの声。
 「VIST秩父」のポスター・リーフレットの配布。
・スマホでも「VIST秩父」を見られるようにし、クーポンも取れるようにする。
・西武鉄道へ旬の秩父観光情報を特急で放送するよう要請済み
・3月下旬から秩父をイメージするラッピング車両の運行
 元町中華街~飯能間  10両1編成
 西武池袋~西武秩父間  8両1編成
・3月から西武池袋駅エスカレーターのベルトに「秩父札所午年総開帳」を表示
・「モーターサイクリスト」に秩父観光の記事の掲載のための取材協力。3月1日発売。
・埼玉県トラベルマート 3月20日(木) 都道府県会館
 旅行業者、出版社等が参加する観光商談会で、秩父観光をPRのためのプレゼンテーションを実施。
・秩父応援フェア 2月27日(木)~3月5日(土) 埼玉県物産観光館(そぴあ)で秩父の物産フェアを開催
・県観光公式ホームページ「ちょこたび埼玉」で営業しているイチゴ観光農園を紹介
 秩父観光のトピックスや最新情報等を紹介するページを準備中
・観光キャンペーン 3月27日(木) 10時~ 大宮駅コンコースで観光キャンペーン
会派会議。
観光課。
企画財政部調整幹。計画調整課。県の均衡ある発展について私から問題提起し、意見交換。
 人口減少が著しい市町村を気にした県政運営を。
新聞記者と意見交換。
県議と意見交換。狭山の有料橋無料化について。
(終電間に合わず、川越から1時過ぎに帰宅。体力的にもキツい)

2014年3月24日の活動

  

富士見小学校卒業式。
新聞作成作業。

2014年3月22日の活動

  

市民意見交換。
さやま楽市楽座。次回は、5月24日(土)。
市環境団体役員さんと意見交換。
県庁。県議と意見交換。
(11時半過ぎに帰宅)
【浦和】タオルにサポーターの願い「みんなで楽しもう」報知新聞3月21日06時
人種差別反対:浦和サポーターの女性、タオル作製毎日新聞3月22日14時
とうこ@tuk24さん。

2014年3月21日の活動

  

群馬県川場村に行き、道の駅の社長(7年目)・常務さんがざっくばらんにお話下さいました(以下)。
    現在、道の駅、単体で年商10億円。今後20億円にはなる。京都吉兆と提携。元々酒屋で付き合いがあった。吉兆は「料理人としてやっていけるのは1次産業のお陰」と話す。
    柿沢安耶さんの店が出来る。
    全国の道の駅で利益が出ているのは2割ない。
    最低、道の駅の敷地内で、1グループのお客様が来てから2時間滞在するかが大事。弁当持ってくる方も。リピーター多い。
    ビール、ミルク工房。体験工房はうまくいかない。
    そば500~600食、社員が手打ち。
    社員30人。パート含め100人。
    商品審査。物産で当初からある商品は2割だけ。
   農産物は、あえてよそから仕入れない。うちは八百屋・フルーツ屋じゃない。生産調整も行う。他の道の駅は、地産地消のマジックに陥っている。
   駐車場は500台弱+360台。
   ホテルは年3千万円、赤字だった。SLホテルと言って、ホテル敷地内に、動くD51があり、見学させて頂いた。
   サッカーコートが2年前にtoto助成金で完成。世田谷フリーダの公式戦が行われている。
   かわば世界文化サミットを今年11月16日に開催。みなの万博(食がテーマ)。
   ユネスコで登録されているのを騒いでいるのは、日本だけとの事。
   埼玉に戻り、宮沢湖周辺を見学。
   阿須運動公園内にあるあけぼの子どもの森公園(飯能市。駿河台大学の近く)を見学。今後の県西地域振興検討の為。公園で中学時代の友人に遭遇しました。懐かしい。
   狭山に戻り、市民相談。

2014年3月20日の活動

  

   市立幼稚園卒園式。
   小学校2校の校長先生、青い実学園の先生に、私が県議会で質問した特別支援教育改革の新聞記事を渡し、私から話す。
   校長先生からは「学校は学ぶという字は書くが、社会性を身につける場である」とおっしゃって頂きました。 市教育委員と特別支援教育について意見交換。
   県庁。
   地域政策課、副課長。県内地域振興策。
   県内の農業団体役員さん6人とお話させて頂きました(以下、お聞きした事)。
   農業用ハウスの撤去費用は補助金上限が決まっている。悪徳業者もいる。鉄骨のハウスは88万円が基準だが、100万円以下では出来ない。自分で撤去すると11万円で、業者だと29万円なのはおかしい。1棟600万円増し。
   本当に1割負担で再建出来るのか。申請の様式もなく、市役所の職員も戸惑っていて、農家として不安との事。(早速県担当者に確認しました)
   県障害者団体代表と会合。
   消防防災課。
   県警本部主席調査官。
   県議と意見交換。

NHKスペシャル『メルトダウン File.4放射能”大量放出”の真相』
<再放送>【きょう19日深夜0時40分~】
福島原発の事故で、1番大量の放射性物質を排出してしまった2号機(格納容器破損)の
【原因は具体的に、今も分かっていない】。
(1時間あたり4.6ミリシーベルトを排出。一般の人の1年間の許容量を15分で超えてしまう値。
3月12日14時40分)
少なくとも分かっているのは、壊れにくいと考えられていた所が壊れた。
電力会社は、淡々と感情なく「対策をとっていく」と説明。番組をご覧になれば分かりますが、
避難者の気持ちなど存在していると思えない。
ベントで排出したものは、電力会社が考えていた500倍の放射性物質を排出し、今後の対策について、電力会社は、新たな装置を付けるとしているが、うち3社は、詳しい性能は検討中、または回答を控えるとしている。
しかし、この対策だけでは不充分だとする専門家もいる。

これでも国は、再稼動を進める。

2014年3月19日の活動

  

県庁。
会派会議。
 来年度の私の所属委員会が決まりました。
★文教委員会。3年目。
 問題なのは4月からの県教育基本計画案が可決されないまま、県議会が閉会してしまう事。前代未聞の異常な事態。県に瑕疵は無い。4月1日から県内の公立学校は方針が無いまま教育を行う事になります。
 来年度の私の1番の課題は、県立高校入試改革。
★自然再生資源循環対策特別委員会。2年目。脱原発!自然エネルギーが県と県内で進むよう具体的な提案をしていきます。
★予算特別委員会。昨年も務め、2回目。来年2月の予算審議。総決算として。
 既に1つ質問予定なのは、県立高校入試改革。質問しなくて済むような対応になっているといいのだが、そうなるように来年度取り組む。
 2つ目は、県の人事制度改革でしょうか。
★埼玉県国土利用計画審議会。
など。

県議会、予算特別委員会。傍聴。
 小児医療センター新病院建設(さいたま新都心)の予算が県議会予算委員会で否決された事について 私の会派の見解
 小児医療センター 工事遅れの見通し 東京新聞20日朝刊。他に、毎日・朝日・埼玉新聞に掲載。
  小児病院開業遅れも 朝日新聞18日朝刊

民主党県連幹事長に私から意見。来年の地方選挙での新人候補者擁立を急ぐべき。
他会派県議と意見交換。
県幹部の話を聞く。県立小児医療センター建設を差し止めろと、自民党が予算の修正案を今日提出。民主・公明・刷新の3会派が反対したが、修正案は可決。工事が進まなくなる結果に。
消防防災課災害対策担当。
財政課長。県立小児医療センター建設工事発注と入札結果について。
犯罪被害者支援県民講座(武蔵浦和)。参加者30人。
講演者:交通事故被害者遺族(ご両親死亡。お兄さんが重体に)小沢さん。
演題『被害者がして欲しい。身近な支援』。
 センターの職員が近くにいればいいが、周りの人に耳を傾けて欲しい。
 あたたかいもの。お茶・おにぎり・お味噌汁がうれしかった。アメひとつでも。
 感情に波があり、しゃべれない時がある。興味本位で接しないで。
 「マスコミ報道お断り」と張り紙をすると、ピタリと取材が来なくなった。被害者は、断れる事を知ってもらいたい。
 報道関係者に、どこまで言うか。
 日記を付けておくと、裁判で役に立つ。
 被害者のイメージが先行し、周りも暗いものを着たりするが、明るいものを身に付けて。
 生徒が被害に遭う事もあるので、学校の先生にも、援助センターの存在を知り、電話してもらいたい。
 あやの木という被害者団体が埼玉県にある。『被害者の為の刑事裁判ガイド』という本がある。
 つらい事を、6年経っても話せない事もある。
 被害者・加害者をつくらない社会を。
講演終了後、講演者の方に県議会での質問について話す。
犯罪被害者援助センター事務局長さんに挨拶。
県庁。県議と意見交換。
前県議と意見交換。
夕方、県職員と会合。
狭山に戻り、市民会合2件。
青年会議所OB総会。
少年野球チーム代表と意見交換。

――――――――――――――――

NHKスペシャル『メルトダウン File.4 放射能”大量放出”の真相』
<再放送>【きょう19日深夜0時40分~】

0319_01

 福島原発の事故で、1番大量の放射性物質を排出してしまった2号機(格納容器破損)の【原因は具体的に、今も分かっていない】。
 (1時間あたり4.6ミリシーベルトを排出。一般の人の1年間の許容量を15分で超えてしまう値。3月12日14時40分)
 少なくとも分かっているのは、壊れにくいと考えられていた所が壊れた。
 電力会社は、淡々と感情なく「対策をとっていく」と説明。番組をご覧になれば分かりますが、避難者の気持ちなど存在していると思えない。
 ベントで排出したものは、電力会社が考えていた500倍の放射性物質を排出し、今後の対策について、電力会社は、新たな装置を付けるとしているが、うち3社は、詳しい性能は検討中、または回答を控えるとしている。
 しかし、この対策だけでは不充分だとする専門家もいる。

 これでも国は、再稼動を進める。

2014年3月18日の活動

  

市民要望対応。
県庁。
自衛隊出身の先輩県議に相談。大雪時の対応。
県議会、予算委員会傍聴。
企画財政部調整幹。
地域政策課。副課長。
①大雪被害を受けた今だからこそ、秩父地域の観光振興を。
②県内4ヵ所にある県地域振興センターの災害時対応の見直しを。
 広聴広報課。県章のまが玉マークは「県庁職員と県施設しか使わせず、西武ライオンズのサポーターだったらいい。県庁職員と間違えられると困るから」との事。
 警視庁交通規制課と電話でやり取り。災害時の車使用抑制の啓発・PRについて。 狭山に戻り、入間基地幹部と会合。 大雪時の自衛隊派遣についてある幹部に聞いたら「私達は公僕の身です」とおっしゃられ、お~!!と思いました。
 建設業の方から相談。
 商店街役員から相談。
(0時に帰宅)

埼玉県ゆかりの選手の競技結果 ソチオリンピック・パラリンピック パラリンピック 回転 金メダル、鈴木猛史選手。
大回転 村岡桃佳選手5位入賞。阿部敏弘選手6位入賞。

2014年3月17日の活動

  

秩父へ。大雪時の対応が実際、現場でどうだったか検証。総力特集! 今後の県・市町村の災害対策に活かす為。そして、私たち市民が災害にどう備えればいいか考える為に。
 私は今年度までの2年間、県議会 危機管理・大規模災害災害特別委員を務めております。
 今回の検証は、どこかを悪者にするのではなく、(雪災害だけでなく)県内どこでも起こり得る災害で、今後に活かす為の教訓として検証します。(2月22日以来、2回目の現地検証) ( )カッコ内は私のコメント。

————————–

 県庁の最前線基地【秩父県土整備事務所】。所長などに1時間聞く。(以下)
 所長は、大雪後、事務所に6連泊。7日間の睡眠時間は平均2,3時間。
 事務所職員で、秩父郡市在住者は4~5割。
 除雪車を購入する場合、1台3~4千万円する。
 県土事務所にユンボは1台も無い。
 建設業者33社の携帯電話をみんな知っている。ムリを承知で頼んだ。
   朝日新聞(3月16日朝刊)に、建設協会秩父支部長の除雪作業の苦渋のコメントが載っていた。「使命感が無いと出来ない。ペイはしない。除雪していると、『やり方が悪い』と言われたり、少しでも休んでいるとお小言を言われ、やめたいと思ってしまう」。県が建設業者に何とかお願いする立場。
   建設協会もユンボなど重機をレンタルしており、重機は不足している。
<大雪時どうだったか?>
   14日午後から大雪警報。
   県土事務所には、職員が十数人いた。その後、2泊、缶詰状態に。
   歩いて来れる職員に召集の電話。
   最初の1週間は、班体制とは関係なく対応。
   今回の職員の勤務体制。朝8時半から24時間。
   災害時は通常、2班体制。これまで大雨時など、年10回くらいは経験している。
   県地域振興センターが機能してなかった。地域防災幹という位置付けの人もいたが。
   県地域振興センター・県農林振興センターの課長が家に帰ったり、職員を帰らせたのは課題を残した。泊まるルールにはなっていないが、内規・口頭申し合わせはある。
   (バックアップする公務員は、一般論で言うと、指示待ちになってしまう。これを何とかしないと、現場は手一杯で周りを見渡せず、応援を要請する余力も無く、もっと何が出来るかという視点に立てず、適切な対応が出来ない)
   東松山県土整備事務所は、関越道が通行止めになった瞬間、定峰峠(県道熊谷・小川・秩父線)を閉鎖した。今度秩父で大雪が降ったら、峠の道を止めようと思う。
   月曜日に県庁から連絡要員が来た。これは機能した。県庁との連絡が大変だった。
   受援(外部からの応援の受け入れ)が大変だった。地元建設業者との打ち合わせも。
   新潟県庁の除雪車が応援に来たのは、午前1時半。翌8時半から作業開始。自衛隊より速い対応。機動力があり、プロだと感じた。雪かきは、土木の災害復旧作業とは別のノウハウが必要。
  新潟県と十日町市は、中越地震や2年前の豪雪時、埼玉県庁から“スコップ隊”と称して県庁職員雪かきボランティアの協力を頂いた事に「いつか恩返ししたかった」と、おっしゃっていた。(私が新潟県の除雪職員に、除雪の最前線で御礼を申し上げた時「命がけです」と、おっしゃっていました)1晩に90cmの積雪は、新潟でも数年に1度。新潟県の除雪予算は年間100億円。新潟県による秩父での除雪は実質8日間。
   国からの応援は1週間(新潟の業者による)。
   自衛隊が来れば溜飲が下がる事はあった。物資を届けてもらった。
   安否確認で、元から空き家なのかどうか分からず、混乱した。市の情報収集能力が追いつかなかった。
   中津川地区は、これまでにも台風での落石で、数日間の閉じ込め(孤立)は何回もあった。灯油の備蓄は1ヶ月分。怖いのは病人と薬。孤立が3,4日間だったら誰も避難しなかった。
<県土事務所から見た秩父市役所>
   2月14・15日の段階で孤立集落という認識を、市は持ち合わせていなかった。
   16日(日)午前まで、市は孤立集落を把握していない。
   林道の除雪の要請。警察から連絡があった。
   15日夕方5時20分頃 県危機管理部に秩父市長が電話「大変な事になっている。市街地がまひ状態」。
   県土整備事務所長が秩父市長に「私からも言いますが、公共福祉も預かっている立場で、県の幹部(副部長を紹介)に直接電話したらいかがか?」と話し、県に市長から初めて電話したのではないか。
   例えば、病院周辺の雪かきをやってくれなどという情報が、市から県土事務所に欲しかった。

——————————–

【秩父市役所】市危機管理課で、大雪時から今までの状況と、今回の教訓を活かした防災対策について聞く。(以下)
   市職員数は580人。うち8、9割が秩父地域の在住。電車通勤者は、ほとんどいない。
 大雪の2月14日。天気予報では「降雪少ない」との事だったので、市役所にいた職員は2人だった。雪崩という概念も当初無かった。
   夜12時に召集がかかったが、既にその時間では、大雪で車を出せない家が多く、動ける車で職員宅を回ってピックアップ。
   夜中2時以降に三々五々集まり、結果として市長など職員合計36人。
   2月15日、日中は68人に。
   15日2件火災発生。消防車が2時間以上現場に行くのにかかった。
   TVでは、自衛隊が山梨県に派遣された映像が報じられ、市民から「山梨には自衛隊が来ているのに、秩父はなぜ来ないのか」との市役所への苦情が相次ぎ、収拾が付かなかった。
   そこで、16日午後2時半に、防災無線で「現在、除雪作業を進めておりますが、記録的な大雪の為、作業がはかどっていません。自宅周辺の除雪にご協力をお願いします。市では昨日から自衛隊派遣を埼玉県に要請しております」と放送。(この放送により、市民の県に対する不満が高まった部分があるのではないか)
   市にあるシャベルカーは、1台。作業できるのは1,2人。
   建設業者による除雪作業。20時間除雪活動しっぱなしでも、除雪の仕方、雪を道からよけると歩道側に雪がたまる事への苦情や、「なぜうちの前はやらないのか」との苦情が作業している人に寄せられ、割に合わない。
   自衛隊からは「除雪目的の派遣は出来ない」と言われた。
   深谷では、自衛隊の基地周辺を“訓練”と称して、雪かきしたと聞く。
   (私から、もしこれがこうだったら、ヤバかったと思う事は何ですか?と質問)通信が途絶えていたら、大変な事になっていた。
   初動体制の問題点。市役所の土木分野の職員が(市役所建てかえ中で)この建物から離れた建物にいて、市役所の危機管理課に居なかった。1人つめて欲しかった。もう少し入ってもらえれば。
   県とのやり取りの問題点。県地域振興センターの職員に来てもらってはいたが、現地の状況情報伝達と、県庁との橋渡しをして欲しかった。県・市との間にワンクッション欲しかった。窓口が1本化されていなかった。
   県から、戸別住宅への安否確認の為「戸表を送って」と依頼されたが、とても労力が無かった。お断りするような感じだった。
   ヘリの調整は、県がやってくれて助かった。
   他町村からの応援の受け入れなど、広域対策本部が必要。被災した市町村の対応の足並みを揃える為にも。
   医薬品は、熊谷の病院に通っている人もいたので、市内の病院と病院同士で直接やり取りし、ヘリで直接本人に届けた。
   消防・自衛隊は、市危機管理課に来ていた。自衛隊派遣の小鹿野町での情報もこちらに来ていた。
   おうち川地区では、水道の取水がつまった。車を降りて普段でも徒歩30分かかる所を、自衛隊がヘリで。
   食料はJAと災害協定していたので、近隣町村にも提供してもらった。飲料水をコカコーラが提供。
   雪捨て場にも困った。市街地に空きスペースが無い。臨時ヘリポートにした所を移動し、雪捨て場にした。
   農耕機などで市民が除雪した場合、後で補助金を出す制度も配慮として市にある。1日1万円。
<東日本大震災時の秩父市役所での課題>
   災害対策本部を3月11日の2日後に解散してしまった為、その後に表面化した問題に、担当セクションを超えて対応するのが難しかった。
   ①放射線のホットスポットなどの問題②市内に120人避難者③被災地応援

——————————-

   【秩父市役所、大滝支所】へ。支所長・副支所長さんなどに約1時間お話を伺う。
   診療所と市職員の連携について、まず聞きました。(以下)
   診療所の医師は市立病院の先生で、秩父の市街地に住んでおり、診療所までの20km、普段でも5時間かかる道を、大雪時、歩いて診療所に来た(途中、偶然通りかかった車に乗せてもらえたが)。
   薬は今回、直接手渡しが出来なかったので、厚労省にも問い合わせて、特別に集落ごとに薬を診療所で用意し、区長(自治会長)さんが戸別に分けた。
   15日朝。本庁勤務の4人が、本庁には行けないので、支所で勤務。
   宿直2人体制は、25日まで10日間続いた。
 ループ橋周辺では、車10台22人が立ち往生(観光バス1台、トラック7台)。朝3時に「避難所を開設して欲しい」と依頼があった。朝5時に県立大滝げんきプラザを避難所として開設。大滝支所から1.5kmの所だが、雪は腰以上の高さまであり、3人で先頭を代わる代わるにラッセルし、1時間以上かかって到着。集落の市民が、(立ち往生して避難して来る人の為に)おむすび20個など作って来てくれた物を背負って運んだ。昼食も用意した。
   孤立集落。せっぱ詰まったという感じではなかった。昭和60年頃にも雪が80、90cm積もった。
   孤立した集落の住民を、ヘリで何人かはピックUPした。
   朝だけでなく、夕方にも道路の除雪状況情報を流して欲しかった。
<次回大雪になった際どうするか>
   私から問題提起させて頂きました。
   ①通行止めにすべきでは?(中央道が通行止めになったのに、秩父の山奥深い雁坂峠(彩甲斐街道)の道が通行止めにならないのは、車の立ち往生を発生させる。通行止めに出来るのは、近くにいる職員ではないか?)大滝支所の先に集落がある。(工事用の看板を置くのでもいいのでは?)
   県のゲートは、川又の先にある。定点カメラもある。トンネル入口の標高は1100m。料金所を閉めた事はある(料金所は山梨県側にあり、料金所を閉めるだけでは不十分)。今回の三峰の積雪1m50。
   ②大雪時の除雪をどうするか?(山梨・群馬・新潟県との広域ネットワークが必要では?)
   除雪車はオペレーターが必要。新潟県の除雪は、本当にうまかった。

秩父・三峰のロープーウェイ乗り場(5年前に廃止)につづく橋を、雪かきした2月22日時点の写真。
これが、今どんな感じなのか。連続写真でお伝えします…。 0317_03
2月22日。一緒に雪かきしたのは、都内やさいたま市から来られた、普段、荒川でゴミ拾いをやられている
NPO団体(荒川クリーンエイド)の方々で「普段、荒川上流の秩父・大滝地区と交流があり、
大雪と聞いて
応援に来た」との事でした。有り難い。(普段からの交流が大事ですね。身に沁みます)

 

秩父・三峰 2月22日②
(雪かき作業は、ボランティアの安全の為、4時までにセンターに戻る事になっており、先程の写真の時点で
作業終了時間まであと30分。)赤くきれいな橋が欄干まで雪にうまって、全く通れない。
「やっちまいますか?」と、あと30分でこの橋を通れるように しようと意気込む。
しかし、30分で出来る自信は当初無かった。
先頭を代わる代わるにラッセルして、息をきらし、結果開通! 0317_04
(遠くにヘロヘロになってる私が見えます)

 

秩父・三峰 再び3月17日に同じ場所へ。こんなきれいだったんですね。 0317_05

 川の景色。きれいでしょ。
0317_08

0317_07

—————————

   最後まで“孤立”していたと報じられた中津川地区へ。
   (大雪から1か月以上経っているが)まだ雪が、道路脇にはとても多く残っている事に驚いた。
   中津川地区は、西武秩父駅から車で1時間10分。秩父は奥が深い。(こまどり荘まで行きました。←地図で、西武秩父までたどってみて下さい。距離感が分かります)
   (秩父大雪対応独自検証報告は以上)

——————————————-

   大雪復旧時、災害ボランティアリーダーを務めた秩父市議候補予定者と会合。
   秩父市街地の方に、大雪時の対応についてお話を伺う。 市議と意見交換。
   (11時前に帰宅)

雪かきした橋は、大滝のメイン通り。国道140号で、鳥居がある所が入口(写真は2月の時のもの)。
今は観光で訪れる所に雪はありません。 0317_06

 秩父の市街地は全くと言っていいほど雪は残っていません。もちろん歩く分にも全く問題ありません。 ぜひ秩父に観光へ。秩父札所34か所は、今年12年に1度の総開帳中です。   0317_01
————-

あたたかくなり、どこかに行きたいシーズンになりましたね。 大雪で痛めつけられた秩父など埼玉県内。
困った時に、周りがどう動くか。 秩父へ観光にお出かけになりませんか? 0317_02

 

秩父のうまいもん、【豚みそ丼】。 西武秩父駅から近く、(雪かきの時、ボランティア本部だった)秩父市社会福祉協議会のとなり。 雪かきの時は、行けませんでした。今回は食べましたが、とってもおいしかったですよ。 0317_10

 

【秩父珍100景】 西武秩父駅のわりと近くの居酒屋さんの入口にありました。探してみて下さい。
(あ、看板ですよ。嫁じゃなく) 0317_09

2014年3月16日の活動

  

 教育関係者と会合。行動障害について。
 市民要望対応。
 市議と意見交換。
 再生可能エネルギーフォーラム『埼玉の電気をおひさまと森で』(埼玉大学)。
 大河原雅子 前参議院議員講演。
 講演終了後、大河原さんと個人的に意見交換。
 埼玉から脱原発派議員を作る会世話人などの方と個人的に意見交換。
 埼玉県省エネルギー・再生エネルギー促進条例を求める連絡会結成準備集会。
 神奈川県では、22万人の署名が県議会に提出された。
 所沢・狭山のダイオキシン問題の時、共に国・県に対し、闘った若い農家の方と10年ぶりくらいに再会。大雪ビニールハウス被害の事など伺う。 タクシーの方に、東日本大震災時の夕方の時のお話を伺う。
 浦和から新宿まで4時間強。帰りは6時間(通常すいていれば1時間弱のところ)。
 県庁。
(0時前に帰宅)
———————————–
西郷隆盛は『均衡財政』の信奉者だった!!!
   下記のような遺訓が残っています。
◎西郷南洲遺訓14則
   「国の会計出納の仕事はすべての制度の基本であって、あらゆる事業はこれによって成り立ち、国を治める上でもっともかなめになることであるから、慎重にしなければならない。
   そのおおよその方法を申し述べるならば、収入を計って支出をおさえるという以外に手段はない。
   一年の収入をもってすべての事業の制限を定めるものであって、会計を管理する者が、一身をかけて定まりを守り、定められた予算を超過させてはならない。
   そうでなくして時の勢いにまかせ、制限を緩慢にし、支出を優先して考え、それにあわせて収入をはかるようなことをすれば、結局国民に重税を課するほか方法はなくなるであろう。
   もしそうなれば、たとえ事業は一時的に進むように見えても国力が衰え傾いて、ついには救いがたいことになるであろう。」
   (出所:南洲神社『西郷南洲先生遺芳』)
   均衡財政はもともと官房学の知恵ですが、ケインズがこれを守らない屁理屈を開発し財政規律の箍を外し、民主主義が未発達な日本を重病に陥れています。

   ↑ 和光市長 松本さんが教えてくれた事。
————————
人は時として、犬や猫などの動物に心を動かされる事があります。

今日見た番組で、【原発事故から避難する為に、家に犬を置いて、車で立ち去る時、犬が追いかけて来た実際の映像】を見ました。
   「犬ごとき」「人間のほうが大変」と思われる方もいるかも知れません。
   しかし、その犬の気持ちを想像する事を通して、避難しなければならない、未だに避難し続けなければならない人の気持ちを想いました。
   (NHK ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図~福島原発事故から3年~」

2014年3月15日の活動

  

市民意見交換。
菊田邦彦さん黄綬褒章受賞を祝う会(浦和)。
狭山市長と浦和からの帰りの車の中で、1時間以上2人で話す。
私から話した事
・人口減少を食い止めるには、電車の利便性を向上させなければ、厳しい
・大雪時の県・市の対応
・県議会・県と市の違い
市長に聞いた事
・市内農業ビニールハウスの被害と県北部地域との違い 自治会役員さんと意見交換。
支援者会合。
————————
映画「フタバから遠く離れて」
 福島第1原発のある双葉町の方々が埼玉県加須市の旧【騎西高校】に大勢避難している時のドキュメント映画。 私は以前、上映会で観させて頂き、監督さんともお話させて頂きました。 少しの時間でも、ぜひご覧下さい。 シェア大歓迎! (映画本編を無料配信中。3月23日(日)まで。)

2014年3月14日の活動

  

県議会。
危機管理防災特別委員会。

狭山の有料橋、無料化実現に向けて【県議会決議案】
 私としては、有料橋の無料化の1日も早い実現を目指し、県議会の仲間に相談したところ、私の担当ではない委員会(県土整備委員会)で、県議会として決議を上げようと、案を作成してくれて、事前に他の会派にもお願いに回り、調整を行い、委員会の場で発議・発言してくれました。
 吉田よしのり県議(新座市)をはじめ、仲間に感謝です。
 埼玉県は63市町村。県議会議員は定数94人で、それぞれ自分の市町村でない所の事情を詳しく知るのは簡単ではありませんが、同じ会派以外の議員の地域課題も県議会で議題になったりするので、私はどの会派からの提案であっても同じ議員であるので、賛成する方向で、一生懸命勉強します。
 またやはり私も人間なので、同じ会派の議員以外でも、市議会議員時代から交流・一緒に勉強している仲間の地域課題には特に気を配り、出来るだけ応援しようと取り組んでいます。
 しかし、今回は残念ながら、党利党略のような状態で、自民党・公明党の会派が反対。否決されました。
 地域課題はどこの問題であっても、推し進めようとする議員は少数です。それをどう県議会として出来るのか。課題が表面化した問題でした。
 昨日私は、橋が有料である影響で、住宅街が抜け道になり、事故が多発している地域の住民の方に、経過を説明、謝りに行って来ました。
 今後も、ひるまず取り組んでまいります。
 市民の皆様には、値上げになってしまい、申し訳ありません。

0314_01

2014年3月13日の活動

  

市民要望対応。
県庁。
県警主席調査官。大雪時の県警・機動隊の対応について。
他会派県議と意見交換。狭山有料橋の早期無料化の決議案について。
会派代表と意見交換。上記の件。
県議と意見交換。
県警交通規制課。災害時の交通規制訓練を来年度行うか確認。
   東京都と埼玉県の合同訓練。昨年度、国道254号を20分くらい止めて1回、朝霞の自衛隊前あたりで行った。 警視庁交通規制課にお願い。災害時の車使用抑制の啓発・PRについて。
①警視庁としてビデオを作製、先週出来あがったとの事。
②環状7号線以内を通行禁止としていたが、24年3月に規制を改正。「環状7号線以内に入ってはいけません」にした。
   また、新たに緊急自動車専用道路を指定。
    昨年9月にチラシ・ポスター作製。
消防防災課。災害時、車両を駐車させる事について、県警と協議中。
危機管理課。帰宅困難者対策。
消防防災課。
   携帯電話会社ドコモと県が連携した帰宅困難者推計調査結果(モバイル空間統計)について。
   HPに記載されていない駅は、調査していない。今後調査の具体的な予定は無し。
   市ごとに帰宅困難者数を出している。
   帰宅困難者の定義は、10キロ未満は帰れるとして、東北(宮城県沖地震)の地震に基づいて。距離で出している。
   被害想定する上で、現在策定中の地域防災計画に書き足しており、市町村との会議を行う。
来年度の県警本部主席調査官に私の問題意識を伝える。 危機管理対策幹。自衛隊と県との災害時を想定した想定・訓練の進捗状況を確認。
   県立公園を自衛隊が駐屯する候補地として、県都市整備部と協議中。現地確認を早々にも始めましょうという事になっている。
   大都市は駐屯する場所が無いのが課題。
   市町村の公園等も今後検討する。
危機管理防災委員会の県議と意見交換。大雪時の県警・機動隊の対応について。(埼玉新聞
県議と意見交換。①県内観光振興策。②戦争遺骨収集活動。
県警地域課。大雪時の県警・機動隊の対応について。
県議から相談。
(1時前に帰宅)

2014年3月12日の活動

  

県立高校卒業式。卒業生を前に挨拶させて頂きました。
   いつも卒業式では「私が外で挨拶をする事自体、これで最後」と思って、挨拶に臨みます。
   でも、ノー原稿だから、今日も言おうと思っていた事をひとつ言い忘れました。(修行が足りませぬ)
   それでも、特に子供たちの前ではノー原稿でなければと思います。
   今日は、今まで人に言った事の無い自分の高校時代・10代の頃の失敗について、話そうと思って、式に臨みました。
   式には、狭山市立東中学校・堀兼中学校の校長先生、学校評議員をやられている狭山の元校長など来賓だけでも、それだけ狭山の人がいる中で、自分の失敗を話すのには勇気がいりました。
   しかし、卒業式が始まってみると、国歌と校歌斉唱で、生徒の声が本当に驚くほど小さく(もし民間の採用担当者が見たら、この学校の生徒は採用しようと思わないのではと思いました。中学の卒業式とは比べ物にならない)、式の合間に寝ようとしている卒業生も何人も見受けられたので、私は「うわぁ、これじゃあ私が今までで最大の全開で話しても、伝わらないなぁ。どうしよう」としばらく思っていました。
   しかぁし!
   中には聞いてる生徒もいるだろうと、腹をくくってマイクを握りました。
   すると、
   ビックリ。
   生徒達は、絶対今結構聞いてるなと驚くほど、こちらを見ていました。
   当たって砕けろの精神で臨んで良かったです。

   また、卒業式で卒業生退場の際、各クラスが後ろを向いてサプライズ。
   「お父さん、お母さん、今までありがとうございました!!」と、クラスのみんなで叫んだり、クラスのみんなで後輩達にエールを送ったり、「○○先生、ありがとうございました!!」とクラスで叫ぶ先導役の男子生徒が泣きながら叫んだりと、最後はいい卒業式でした。
   卒業おめでとう!これから色々あると思うけど、必死に頑張って下さい!卒業式に出席出来て、良かったです。ありがとう。

市内の障害者施設あいろこいろの方に、名刺入れを作ってもらいました(2500円)。いかがでしょう?オーダー注文販売も出来ます。
市内版画展。
市民要望途中経過報告。狭山有料橋の早期無料化について。
市議と意見交換。
県庁。
担当委員会外の県議から調査依頼あり、対応。
財政課。県立施設入館料に、高齢者減免を無くした影響について確認。
今年度、入館者は増えている。昨年度まで減免された入館者は、入館者全体の4.3%。
県議会。企画財政委員会。
   開会予定時間から1時間以上、(他の委員会が終るのを)待った挙句、わずかの時間で終わる。この間、県庁幹部職員も、気が気でなく、仕事しているはず。費用対効果を考えたほうがいい。
県警本部主席調査官。大雪時の県警・機動隊の対応について。
県警察本部地域課課長補佐。上記の件。
新聞記者と会合。

————————
自衛隊の原子力災害への対処能力向上を 3月15日NHK
   国・防衛大臣は、(若い)自衛隊員を被曝させるつもりですか?
   自分が行けばいいのに。
   自衛隊員を被曝させて、原発事故が起きても大丈夫という事にし、何とか原発を再稼動させる口実にするのですか?
   原発が無ければ、事故は起こらず、自衛隊員を派遣させる必要も無いではないですか。
   自衛隊の化学部隊は、外部からの化学兵器攻撃やテロ対策の為にいるはずです。 自衛隊は、何でも屋ではないと思います。

2014年3月11日の活動

  

(県議会。企画財政委員会の議事録が作成され次第、UPします)

————————
東日本大震災から3年。
県庁と県議会の入口には、国旗が掲げられ、2時46分、委員会審査の時間中に、黙とうを捧げます。
気持ちを込めて。教訓を必ず活かす事を誓い、原発事故避難などで今でも苦しんでいる方を何とかする為に。

 

0311_01

2014年3月10日の活動

  

 県立高校入試、合格発表。受験生と電話で話す。
 国会TV中継を見る。新たなエネルギー基本計画構想。
 国内の原発で今行なわれている震災対策は、1兆7千億円。浜岡原発には3千億円。
 1990年以降は、他国に比べて日本の省エネは進んでいない(GDPあたりの一次エネルギーの国際比較。米・独・英・OECD平均)。
 民主党のエネルギー環境戦略は、再生可能エネルギー30%弱、省エネ10%、コジェネ15%導入目標。コジェネについて、業界ではその2割UPの3000万キロワットが可能との事。
 大規模発電所でつくった電力は、家庭など使う所で40%しか使えない。廃熱と送電ロスで6割が消えてしまっている。
 分散型発電。水素の燃料電池を使ったケース。
 電力発電だけでなく、地熱・バイオマス・ガスコジェネで、熱利用を合わせて使えば、最大85%使える。
 県庁。県議に相談。狭山の有料橋料金の議案について。
 会派用務。
 委員会担当議案事前調査。
 企画財政部調整幹。
 情報システム課副課長。IT推進計画案。ビックデータの活用の必要性について確認。
 改革推進課副課長。行財政戦略プログラム案について打ち合わせ。
 知事からは「(公務員同士だけでなく)他流試合をしなさい」とよく言われている。
 “世の中大学”と銘打ち、県庁で2週間に1度、民間企業の方が来て、交流している。
 昨年12月には、3S改善運動として「もし埼玉県庁が株式会社だったら」(通称 もし株)を行った。
 友人家族葬儀(都内)。
 講演会『あの震災を風化させない』(越谷)の講演終了後、講師の大島九州男参議院議員に挨拶。
 県議と意見交換。
 狭山に戻り、支持者会合。秩父の大雪の実情を報告。
 帰宅後、国会中継録画を見る。プルトニウム・プルサーマル。新たなエネルギー基本計画構想。

 東京大空襲から今日で69年。一夜にして10万人が亡くなりました。
————————
福島県 南相馬市長の心の叫び。
 これまで福島原発の電気を使って来た首都圏に住む私達は、全員が見たほうがいいと思う映像。

2014年3月9日の活動

  

市民相談。
写研アイリス写真展(市中央公民館)。

福島復興まつり。
福島第1原発のある双葉町 前町長 井戸川克隆さんの講演会。(川越。以下講演)

双葉町 前町長 井戸川克隆さん。
0309_01

 「埼玉の皆さんには大変にお世話になっております。
 双葉町は原発があって、町長就任前に、貧乏になった町だった。
 自主財源は、会津若松市は50億円。双葉町は3億。双葉は私が町長をするまで45億~50億を使っていた。
 増税は誰でも出来ます。しかし私は安倍総理のようなやり方をしなかった。
 緊縮財政を行い、給料7割カット、公用車をやめ、自分で運転。平成23年度、ようやく「来年度から少し良くなるからね」と町民に言った矢先の震災だった。
 原発事故時、私達はこれで死ぬんだと思った。そういう人達に、国はちゃんとした検査もしていない。
 「とりあえず、避難しよう」が今でも続いており、非常に無責任。
 町民は避難する時、金品を持って出なかった。私の避難指示の仕方が間違いだった。
 官房長官は「支援する」と私や知事の前で言うが、知事が言うのをさえぎり、私は「支援ではなく、責任」と言った。
 事故の当事者(避難者)を協議の中に入れるよう国に申し入れをしたが、1度も入れられなかった。避難させただけ。
 官僚に「あなたが福島に住みなさい」と言ったら、「家族と相談してないからダメです」と言われた。その後再び会ったら、顔を赤らめて「まだ相談していません」と言われた。
 原発事故は悪。事故の検証もされず、再稼動をしようとしている。この国の幼稚さ。あり得ない。
 ウソをはらさない限り、再稼動してはいけない。
 避難者には東電のお金でなく、税金で賠償の一部が支払われている。電力会社がそれを払えるようになってから、再稼動の議論に入るべきではないのか。火災保険のように、原発に保険をかけるなり。全部の電力会社が協力してお金をつくり、まず事故のみそぎをして、戻して。
 子分を大切にするから親分になれる。それが国。戦争なんてしないで、自分で闘ってくればいい。なぜ国民を戦わそうとするのか。
 仮設住宅で、高齢者から「俺はここで死にたくない。何とか死ぬ場所をつくってくれ」。そういった事から“仮の町構想”を打ち出した。菅総理はいい案だと言ったが、総理が変わってしまった。引継ぎがされていない。
 国は市町村に原発事故時の避難計画をつくれと言っているが、とんでもない人権侵害。なぜ出なければならないか。作ってはダメだと国民は言うべき。私達は先祖伝来からそこにいる。なぜ避難しなければならないか。原発が避難すべき。住民を避難させない。思い出や将来の夢がある。避難計画をつくるなら、帰還計画をつくるべき。それが無くて、私は大変つらい。
 電力会社は、事故後、家庭の電気料金で儲けている。除染について、関係事業者よりも、国民のほうが責任が大きいと国は定めた。それでいいと言ったのは、細野環境大臣。
 台湾は原発をつくったら、逃げる所が無い。
 震災の年の3月3日、文科省は、津波による原発被害を想定していたが公表しなかった。
 町長を辞めたが、背中に町民がいるので、私には責任がある。
 原発の負担は、私達の世代で止め、子供達には、住める日本を」。
 (以上)

 狭山に戻り、
 市祭囃子連合会。TVが無かった時代の大衆芸能。私もそうですが、新住民の多くの方に見て頂きたい。特に、TVが無かった時代に育ち、お囃子などの大衆芸能をやって来た世代が亡くなる前に。そういう想いを今日強くしました。
 夜は、支持者会合。
——————-
荒川マナーアップミーティングが今日行なわれました。

NHKスペシャル『震災ビックデータ③「“首都パニック”を回避せよ」』を見ました。
災害時、道路を大渋滞させず、どう開けるか、気になっているテーマでした。
東日本大震災時、都内では、震災後に送迎で動き出した車が、渋滞を加速させた。
これが首都直下での災害だったらどうなっていたか。この教訓を次回活かせるか。
震災ビックデータは全く新しい事ではありません。課題は多くの方が東日本大震災時、体験し、分かってはいる事。
災害時、国や県が、車での移動の自粛を打ち出し、機能させる事が出来るか。それを平時に市民に伝えられるかが、まず鍵です。
ビックデータは、災害に備える決断をさせる1つの手段として有益だと思います。でも無ければ出来ない訳ではありません。
災害は待ってくれません。言い訳も通じません。

NHKスペシャル「避難者13万人の選択~福島 原発事故から3年~」を見ました。
原発事故避難者が食べて行く為に、5才・10才の子や奥さんと離れ離れで、お父さんが単身赴任している。こんな家が一体何件あるのでしょうか。
また、避難指示解除される地域出身の方(3万4千人)には、生活費の賠償が1年後に打ち切られる。
復興庁は、避難指示解除地域に設置すべきだと思います。
自主避難者は現在、5万4千人。
自主避難後、夫が単身赴任していて、離婚した家庭が23%。それ以外の家庭でも、今後の生活をどうするかで、言い争いになってしまう。
単身赴任のご主人「事故さえなければ」。
復興大臣が「住宅の支援」「支援」と言っている時、井戸川さんが今日言われていた事を思い出す。「支援ではなく、責任」だと。

2014年3月8日の活動

  

政策調査。
市民相談。
安全保障討論会(入間市)。
入間基地司令に、演劇公演『MOTHER』を紹介。
航空開発実験集団司令部幕僚長と意見交換。災害時を想定した日頃の自衛隊と県の対応について。
自衛隊員の方々と会合。
隊友会会合。大雪被害時の県庁・自衛隊の対応のあり方について相談させて頂きました。
前県議と会合。ざっくばらんに意見交換できて、良かった。
(0時過ぎに帰宅)

—————————
原子力施設の事故は、東日本大震災での事故だけでなく、日本のどこかでこれまで起きた事は、ある程度必然だったのではないかと思う報道を見ました。
NHK ETV特集『核燃の村 苦悩と選択の記録~青森県六ヶ所村』2006年放送の再放送。

 青森県六ヶ所村に核燃料再処理工場の計画が、まだ無い段階の1970代後半~80年代にかけて、再処理工場建設が国内で検討され、その1つに北海道【奥尻島】が含まれていた。
 北海道南西沖地震は1993年。ご存知の通り、奥尻島の多くの地域が津波で壊滅的な打撃を受けました。その時に、ここに再処理工場があったら。また、たまたま原発だったら・・・。
 六ヶ所村の核施設の計画は1984年に出され、建設され始めたのは88年で、奥尻島などでの計画がとん挫した後に計画された訳ですから、計算上、奥尻島に計画が決まっていたら、南西沖地震当時、核施設が出来ていたのではないでしょうか。
 そもそも、国の官僚や学者は、核施設を計画した奥尻島が津波にあった事を知っていたはず・・・。(以下、番組詳細)

 まず青森県庁が、六ヶ所村に最初に推し進めたのは“むつ小川原開発計画” (1960年代)。近代的な港が整備され、石油精製工場などの工場が誘致され、3万5千人の雇用が生まれる。土地を売った農家は工場に優先雇用されると説明。
 計画発表される前から、県外の不動産業者が村に乗り込み、買収価格10アールあたり70万円の土地は、当初3,4万円だった。
 当時の六ヶ所村(寺下 力三郎)村長は計画に絶対反対。大規模な立ち退きを必要とする開発は、住民の生活を根底から破壊すると主張。住民の反対運動が起きる。
 金融機関は開発予定地域の住民に、後の買収金額に見合う資金を融資。家の建てかえ、車の購入で、金を使ってしまった住民は計画を受け入れざるを得ない立場に立たされていく。
 土地を売って、移転をしてくれれば、県は「工業用地の工場の仕事を地権者に優先して回す。最低でも1件1人は雇う」と薦め、移転させたものの、工業用地(3千ha)の大部分には工場が来ず、移転した人の中には、建てかえた家も手放す事に。
 そうして出て来たのが、核燃料再処理工場計画(前述の1970代後半~80年代)。国内の他の候補地はうまく行かず、膨大に工業団地用地が売れ残っていた六ヶ所村が計画地となり、1984年に電力業界が村に計画を申し入れた。
 翌85年、受け入れを県・村は回答。しかし、漁民は放射能で海が汚染される事を懸念し、漁協組合員の半数以上が反対だったが、説得されていく。漁協組合員の間で、いがみあいのケンカが男女問わず総会の場でも起きる。
 86年の漁協総会は、再処理計画の海域調査の受け入れの是非を決めるはずだったが、推進派組合長が冒頭、流会を宣言。反対派組合員が改めて総会を招集。調査拒否を採択するが、県と核燃料サイクル会社はこれを認めず、調査に入る。
 同年6月、県が機動隊400人を動員して、港を封鎖。反対派漁民を封じ込める。調査には海上保安庁の巡視船・ヘリが護衛につく。巡視船同士が固まって漁船に迫り、漁船を転覆させんばかりに波を起こす。
 反対派の漁民は、賛成しないと、漁に出られない。親戚の間にも賛成・反対分かれる。逮捕される反対派漁民もいて、県・国の対応に、賛成派も不信感を持つ。
 88年、六ヶ所村の最初の核施設、ウラン濃縮工場の建設が始まる。賛成派の中にも亀裂が。
 89年、村長選挙。建設計画の凍結を求める新人村長候補と政策協定し、「核燃サイクル施設を進めるのはダメ。凍結を約束し、村民の同意が無ければ、絶対に進められない固い決意」と選挙で訴え、その候補が村長に当選したが、住民投票を実施する約束は守られず。村民は政策協定を守るよう、村長に繰り返し求める。番組の取材に当時の村長は振り返り「私はもともと住民投票に反対だったが、村議から『いいからハンコだけ押せ』と言われた。自分で名前を書いて押した。はっきり言って私から見ると、政策協定そのものが幼稚で人だましで、法的に無意味な協定だった」。
 そしてその後、ガラス固化体の受け入れを国は、六ヶ所村に求めた。六ヶ所村民がこれまで聞かされて来たのは、核燃料再処理・ウラン濃縮工場、低レベル処分場だけだったが、増えた。
 これらの裏に一体どれだけの力が動いていたのか・・・。

————————————–
【富士山・浅間山などの噴火の影響を考えなければ】
 大雪・竜巻など、最近手を変えて来ている自然災害。どんな事でも想定はしないと。特に浅間山から近い埼玉県は火山対策も考えないとならない。
 私は、三宅島噴火の避難解除になったばかりの時、火山ガスのマスクを持って(持参する事が強制だった)三宅島に入りましたが、入ったばかりの時は、マスクしないでいると、息苦しかったです。

 そんな中、NHKドキュメンタリー『石に刻まれた巨大災害~桜島大噴火100年 その時何が』が放送され、参考になったので、以下に内容を記します。
 1914年(大正6年)に、休火山と思われていた桜島が大噴火。溶岩の量は、雲仙普賢岳噴火の10倍。3500km離れたカムチャッカ半島まで火山灰が達した。鹿児島の7つの集落が全滅。
 さほどの雨でもないのに、大洪水・土石流も引き起こされた。土石流は100ヶ所以上で発生。
 山に積もった火山灰で(ビニールシートで覆われたようになり)雨が土にしみ込みにくくなり、わずかな雨でも、雨水が山肌を削り、岩石も転がり落とす。
 火山噴火による地盤沈下で、海岸の堤防も決壊。たまっていたマグマが地下に無くなるので、地盤沈下が起きる。
 火山石が60~70cm積もった集落もあった(灰でなく、石)。
 現在の噴火の想定では、鹿児島市の中心部も70~80cm火山灰などが積もり、救急車が動かない、水源地をやられる、停電など都市機能がマヒ。50cm積もれば(500kg)、火山灰の重みで家がつぶれる。100年前も重みでつぶれた。
 風向きによって火山灰は、東北地方など日本列島全域にも及ぶ。噴火から20時間後、国内主要空港は、火山灰で覆われる。2日間飛行機は飛べない。場合によっては1週間影響が出るとの事。

 もし富士山が大噴火したら・・・。

—————————
 なぜ知識偏重の入試しかできないのか 背景にある大学の苦しい台所事情鈴木寛氏[東京大学・慶応義塾大学教授、元文部科学副大臣] 。
 大学入試がなぜ知識詰め込みになっているのか。「そういう事だったのか」と勉強になりました。私は県立高校入試改革を求めていますが。

2014年3月7日の活動

  

市民要望対応。
所沢児童相談所。所長と1時間意見交換。一時保護施設にお邪魔し、休み時間中の子供達とふれ合う。
所長は週に1度、入所児童と食事している。
所沢児相の児童福祉士は約30人。ひなまつりなど行事の時は、入所児童と一緒に食事を取る事もある。
一時保護施設は、近くでないほうがいい場合もある。
西部地域創造センター。副所長に県西部地区の大雪被害状況について聞く。
狭山に戻る。
県庁。控室にて、決算委員会を傍聴。
県警本部主席調査官。
県議と意見交換。市議会について。
新聞記者と会合。

マンションに住んでいる方の防災マニュアルです。ご覧下さい。

2014年3月6日の活動

  

県庁。
県議会予算委員会を傍聴。高木県議が向精神薬多剤投与問題・中高生スマホ依存問題などを質問。
県警本部主席調査官。大雪での死者原因調査。
企画財政部調整幹。
県議と意見交換。①狭山有料橋の周辺道路の混雑について私から説明。
②向精神薬多剤投与問題。
③不妊問題。不妊について書いた大分県のマンガパンフレット。
(0時過ぎに帰宅)

 所沢駅での池袋線の本川越行き接続の仕組み。
 夜9時以降は、池袋からの電車が着いて、本川越行き電車の発車時間まで2分の間がある場合、接続して(池袋からの電車が多少遅れても待って)発車する仕組みになっているとの事。
 きょう駅員さんに聞いた。昨日・今日と23時40分に所沢駅に着く池袋線で、41分発の本川越行きには乗れず、57分発まで、17分待った。(この電車は接続されていない。池袋線が少し遅れたのか)
 寒い。57分の本川越行きは、後から来る特急に抜かれる。もし特急まで待つのであれば、22分間待つ事になる。
 寒いと所沢駅で待つのは、こたえますね。待合室は今作っているようですが。

2014年3月5日の活動

  

 市民要望対応。
 県庁。
 県議と意見交換。県施設使用料改定。
 会派会議。狭山の有料橋の料金改定。
 県議と意見交換。狭山の有料橋の料金改定。

 会派勉強会。講師:地方自治総合研究所 菅原敏夫氏。
 テーマ:国の来年度予算と地方財政。
 高知県知事(橋本知事当時)は、県民に予算編成課程を公開すべきだと主張。
 岩手県(前知事)は“見え消し”(現知事になって廃止)。市町村はいくつか実践例。愛知県とよあけ市(桶狭間あたり)。
 政策評価。埼玉県も公表。
 臨時財政対策債は、2001年に1度だけやろうとなった。ところが、あと3年、あと3年間と、やめられなくなった。国が自分の責任で用意しなければいけないお金。返すあてが無いのに、借りているお金。
 1974年の時は1年限りで終えた。
 臨時財政対策債は、昨年度が転換点で、今や返済額のほうが多く、増えている。由々しき問題。
 発行額5兆2千億円(27%減。国・地方で折半)
 (返済額)元利償還金分 3兆円(前年比13%増)。
 例えば住宅ローンで考えれば、返済の為の借金。雪だるま。適切な警告が与えられていない。
 戸田市は、交付税が来ない財政力があるので、臨時財政対策債を借りられない。
 個人住民税の均等割りは5千円。一昨年までは4千円だった(うち千円は県、3千円は市。復興増税で増税に)。
 法人住民税、一番低くて7万円(NPOも)。

 危機管理防災センター。危機管理部調整幹。危機管理課。
 大雪時の対応について詳しく確認。
 (0時過ぎに帰宅)

2014年3月4日の活動

  

支援者意見交換。県議会で質問した内容について。
県広聴広報課コバトン担当に連絡。

【ふっかちゃんに続け!コバトン 大雪復興キャンペーンを県担当課長に提案】
0304_04

 写真は今朝の東京新聞。深谷市は、アクティブですね。「たとえお金が無くても、知恵を出せ」と言ったところでしょうか。やりますね!深谷市。

 県庁として、ふっかちゃんだけ市町村に呼びかける事はしないので、『コバトン復興応援シール』を至急作成したり(例えば、既存のシールに説明紙を貼るだけ。お金はほとんどかからない)、コバトンが募金活動をするなどして、
 ①大雪で被害を受けた県民の心をまず温められるように、
 ②大雪で困った経験を忘れず、次の災害に県民が備える意識を持つきっかけになるように。
 ③(この国の税金は、残念ながら1年間で使う半分以上が借金なので)税金だけで何とかしようと思わないように、
 そして埼玉県のマスコット、コバトンのPRとしても、有益だと思い、先ほど県担当課長に提案しました。

 (東日本大震災の時、私は県議ではなく、埼玉県内でも液状化で住宅被害が出ましたが、義援金ステッカーは作ってないのでしょうか?)

 コバトンにとって、今が“いざと言う時”。スピード感が問われると思います。

県庁。
県庁のコバトンカフェに行って、コバトンのステッカーを購入。

0304_03

コバトン 大雪復興キャンペーン(前述)の【見本】を自分で作って、県担当課長に提出しました。
県議と意見交換。大雪被害対策。
知事室。

大雪被害対策について、上田知事と話しました。

知事室にて、上田知事、浅野目県議と。
0304_01

 先日の大雪は、狭山市でも積雪が55cm。市内の農業用ビニールハウス58棟が被害を受けるなどしました。
 先ほど知事室に、浅野目 県議と伺い、上田知事に話を伺いました。
 県議会では昨日、大雪被害対策として40億5千万円の緊急補正予算を上田知事が提案され、壊れてしまった農業用ビニールハウスの撤去・再建にあてる対策が打たれました。
 きょう知事からは「農家被害の負担軽減について、国に直接申し入れを行い、1割の負担で再建が出来るようになった」との事。
 また、埼玉県民の募金などに対する意識について知事から、
 「東日本大震災の義援金募金で、埼玉県民の皆さまから、件数で全国2位。金額で全国3位。
 緑の羽根募金では、3年連続全国1位。
 高校生の献血者数も、全国1位」とのお話でした。
 あたたかい埼玉県民の皆さんに、感謝です。ありがとうございます。
 災害は様々な形で、今後も頻発する事が想定されます。災害へのご自身の備えと、まさかの時のご協力をお願い致します。

知事室の待合室のテーブルに置いてある障害者の木工製品。
0304_02

カタログも余分に置いてあり、こう言う配慮もいいですね。商品はインターネットでも、ご覧になれます。
全ての人が、頑張れる世の中へ。

広聴広報課長。
県議と意見交換。①向精神薬の多剤投与対策。②沼など市民による浄化活動の視察に行った結果報告。
危機管理防災部調整幹。
県議と意見交換。議会改革。
(0時過ぎ帰宅)

「携帯の充電器を寝室に持っていった時点で、あなたはもう経営者失格よ」
 学びのある記述でした。私はちなみにTVを見る時、音を消して見る事が結構あります。今の番組は結構、字幕が多く出るので、不自由は感じません。音が無いと、TVの内容についてなど考える事が出来ます。

2014年3月3日の活動

  

 県庁。
 県議と意見交換。
 県議会。一般質問。
 会派会議。有料橋無料化の議案について。
 疾病対策課副課長。
 障害福祉推進課副課長。障害者芸術・文化担当。
 シラコバト資金活用の改良について私から提案・意見交換。
 県シラコバト資金を障害者の芸術・文化の為に活用し始めたのは、平成20年~。現在、1人1度きりの利用で、
上限50万円。年間総予算300万円。
 (11時過ぎに帰宅)

2014年3月2日の活動

  

市民要望対応。
市民相談。
市内で障害者絵画展。作者の方とお話しする。
障害者施設理事長さんから、県のシラコバト事業について改善を求める声を伺う。
市民要望対応。有料橋無料化の議会質問結果報告。
元県議と意見交換。
他の県議が質問する資料作成。向精神薬多剤投与問題について。

2014年3月1日の活動

  

 市民要望対応。
 NPO法人 狭山市の高齢社会を考える会。
 講演:アルフォンス デーケン先生(お薦めの講師。お話をお聴きするのは2回目。本も読みました。上智大学名誉教授)。
 演題『ユーモアは長寿の妙薬』。(以下、講演)
 「ドイツ人として生まれ、日本に来て50年以上。日本に骨を埋める覚悟なので、今は日本人です。
 デーケンと言う名前ですから、何も「で~けん」です。
 死とどう向き合うか(同名の本も販売中)。
 死について語る事は当時タブーで、死について考える場をつくりたいと友人達に相談したが、唯一の励ましは、「やめたほうがいい」だった。
 日本のホスピス運動に非常に興味があった。
 厚労省のえらい人は当時「ここは日本です。日本ではガン告知しません」と言われました。しかし、今ほとんどの医者が、患者への告知を薦める。
 当時、ホスピスの事をタクシーの運転手に聞くと、「ハイクラスのホステスさんですか?」と言われた。
 毎日朝から晩まで、“思いわずらい”するのは道楽とも言える。それに解放されるには「晴れてもアーメン、雨でもハレルヤ」。
 人は課長・部長になりたいと思う。デーケンと言う名は、オランダ語で部長の意味。私は生まれた時から部長でした。
 37才でナチスに処刑されたアルフレッド・デルプ氏は「もし人によって、少しでも愛と平和、光と真実が世にもたらされたなら、その一生には、意味があった」と言った。
 ドイツの諺「共に喜ぶのは2倍の喜び。共に苦しむのは半分の苦しみ」。行政の自殺対策の参考になる。
 高齢化社会で大事なのは、内面への道。いかに心あたたかでいるか。
 驚きは哲学の第1歩。驚かない人は哲学者になれない。
 人間の能力は5%しか使われていない。
 くそまじめな人は、自殺する。生真面目な人は、早く病気になる。
 何千人の死別体験者に会ったが、配偶者・知り合いを失った人は笑わない。
 失ったものを再発見するしかない。潜在的能力の可能性は、ユーモア感覚。
 奥さんを失うと、ご主人の死亡率は4倍上がる。先に亡くなった奥さんは無責任(笑)。
 バスを待っている時間は長い。ロンドンでバスを待っていて、全然来ないから、時刻表を見たら小さい字で「日曜日は運休」と書いてあった。
 ボランティア活動をやっている人が100人死ぬうちに、ボランティアをやっていない250人が死んでいる統計がある。
 許しは、弱さでなく、真の強さの証。

 遺言状を書くのは、家族への愛情。
 ユーモアは、もともと医学者が使った概念。
 ユーモアがあれば、自分の苦悩に、笑いが出来る。
 体の免疫機能も高められる。
 ある患者は言った。10分笑い続けたら、2時間痛みを感じず、眠れた。
 ユーモアは、愛と思いやり。
 ジョークとユーモアは違う。ジョークは技術。きついジョークは相手を傷付けるので、良くない。当てこすりはきつい。
 私は1932年生まれ。父は反ナチス運動で、1日中タイプライターを打った。見つかれば殺される。夜、父は私達を笑わせた。ユーモアのバランス。
 12匹の猫を私は飼っていて、猫の前でへんな顔をしたが、どの猫も笑わなかった。
 日本に来て、日本語を教わっていた時「よくうなずいて下さい。たまに『そうですね』と言って下さい」と言われた。
 “ユーモアとは、『にも関わらず』笑う事である”
 今、今までになくユーモアが大事。
 笑いながら、同時に腹を立てる事は不可能。やってみて下さい。でーけん。
 中学の先生がもう少しユーモアを持って教えたら、いじめが無くなるのにと思った。
 年を取ると、ユーモア感覚を失う事が多い。
 看護師さんは、病室の全員と話す時間が無くても、無言の笑顔で、患者は喜ぶ。
 ドイツの男性よりも、日本人のほうが長生き。だから私は日本に来た(笑)。
 日本は幸せの国とは言いづらい。自殺が多い問題。電車が止まるので、早く出かける。
 どういう高齢化社会をつくるか。日本の使命」。(以上、講演)

 講演後、デーゲン先生に相談。メンタルヘルス対策について。
 奥富ふれあい館。ひな飾り展。昨年に続いて今年も訪問。明治・大正時代のひな人形もあった。
 住民のつるし雛作りを指導されている方にお話を伺った。
 奥富地区の3つのまちおこし事業について各代表の方にお話を伺う。
 6月中旬には、ホタルも奥富『弁天掘り』で住民の方(16人)の飼育により見られる(昨年は8千匹)。
 県としてもホタルが生息できる水辺環境の整備を行い、応援している。

 市民要望対応。