2005年7月11日の活動

(昨日日に焼けた気がします。いつもの事ですが声がかれました。ちと筋肉痛。)

資料整理。
商店主と地域の犯罪について意見交換。
中学校で部活動ボランティアをされている方から相談・対応。
交通防災課。事件対応について。
夜は自転車で防犯パトロール。
 祇園・中央地区を重点的に約2時間半回る。途中夜食の為休憩し、昨日御輿に参加してくれた飲み屋さんに行くが、後もあるからウーロン茶(今日は夕方からビール飲みたいと思ってたけど)。終わり頃雨に降られました。
祇園自治会の方に情報提供。

帰宅して、明日科学館の専門家と会う上での資料等準備。
 聞いて学ばなければならない事は何かを必死で考える(翌朝7時就寝)。

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NHKスペシャル『ジェノサイド(民族の虐殺)を止めるのは誰か 第1回』を見ました。
 1994年アフリカ ルワンダで80万人の大量虐殺が起きた時、各国視察団のある者は「ルワンダには資源も、何の価値もない。あるのは人だけだ」またある者は「白人の兵士1人を送る為にはルワンダ人8万5千人の死が必要だ」と言ったと当時の国連平和維持軍司令官が証言した。11年経った今も世界はそのような悲劇を防ぐ有効な手立てを打つ事が出来ずにおり、スーダンでは政府軍・民兵による7万人もの住民虐殺があり、今も続いている・・・。

テレビ朝日テレメンタリー『父よ友よ~虎頭要塞~』を見ました。
 中国東北部ロシアとの国境、虎頭。ソ連が昭和20年8月9日満州に侵攻し、虎頭にいた日本人は終戦を知らされず26日までの戦闘で約2500人がほぼ全滅。半数が女性や子供を含む民間人だったそうです。
 日本からの調査団は、今年あの反日デモのさなか中国に行かれたと聞き、すごいと思いました。しかし、中国で戦時中の遺骨を見付けても、日本に持ち帰る事は出来ないそうです。なぜ?
 調査団の元兵士は「病院で死ねるほど幸せな事はない。戦友たちは未だに遺骨が野に散らばっている」と言って亡くなったそうです。
 また、ある元兵士は現地で、亡くなった戦友の名前を探すように叫んでいました。その姿は60年前の姿のようにみえました(今84歳)。
 戦後60年。亡くなられた方にとって、戦争はまだ終わっていない、安らかには眠れていない、浮かばれないと思いました。

サッカー元日本代表井原が骨髄バンク登録を雨の中で呼びかける公共広告機構のCMいいな。「メンバーが足りません」。