2010年1月1日

新年明けましておめでとうございます。
昨年中は何かとお世話になり、ありがとうございました。
2010年が、あなたやあなたの周りの人にとって、よい年になりますように。
私も精進し、パワーアップして活動してまいります。
何かありましたら、何なりとご連絡頂ければ、有り難いです。よろしくお願い申し上げます。

2010年1月1日
中川 浩

今年は坂本龍馬が流行りそうですね。私は小学5年の時、四国に行って坂本龍馬の存在を知った事が政治家を志すきっかけのひとつになりました(その時買ってもらった龍馬の銅像が家に飾ってあります)。

龍馬伝

第3回放送 1月17日 偽手形の旅
第4回 1月24日 江戸の鬼小町
第5回 1月31日 黒船と剣
第6回 2月 7日 松蔭はどこだ?
第7回 2月14日 遥かなるヌーヨーカ
第8回 2月21日 弥太郎の涙
第9回 命の値段
第10回 加尾の覚悟
第11回 土佐沸騰
第12回 暗殺指令
第13回 さらば土佐よ
第14回 暗殺者は龍馬
第15回 ふたりの京
第16回 勝麟太郎
第17回 容堂動く・・・

NHK大河ドラマ特別展「龍馬伝」
○東京展
平成22年4月27日(火)~6月6日(日)
会場/東京都江戸東京博物館(東京都墨田区)
京都やゆかりの地に残る遺品や直筆の書簡類により、幕末史の奇跡・坂本龍馬の人物像と龍馬が駆け抜けた幕末という激動の時代を約180点の歴史資料で紹介。

龍馬伝HP
配役を見て驚きましたが、果たしてどんな演じ方をするのか楽しみです(注:HPで、登場人物をそれぞれ見る時、1人見たら「閉じる×」を押さないと、次見ようとした時同じ人が出ます)

私が龍馬の存在を知ったのは、大河ドラマ『勝海舟』(1974年放送)、当時私は8才でした。坂本竜馬役 藤岡弘さんが壮絶な最期(第44回)を遂げたシーンが物凄く印象に残っています。
この作品は、ビデオ発売されておらず、各県のNHK番組公開ライブラリーで総集編上下編として視聴可能との事(埼玉は川口と浦和の2か所)。

坂本龍馬は、演劇にもなっていて、狭山市出身の成井豊さんが演出家をやられている(今でもご実家は狭山市)『演劇集団キャラメルボックス』で、以前『また逢おうと龍馬は言った』と言う作品があり、大変面白かったです(DVD発売中)。龍馬役をやられたのは、今回の龍馬伝にもご出演の上川隆也さん(龍馬伝が福山さんに決まるまでは上川さんだったらと思っていました)。龍馬伝では何と“中岡慎太郎役”を演じられるとの事で、楽しみです。
キャラメルボックスを、私は学生時代から好きで、何度も観に行っており、私が顧問をつとめさせて頂いている『狭山市民劇団ステップ』でも、(偶然ですが)キャラメルボックスさんの作品は何度も上演させて頂いております。

1月3日放送BSジャパン『龍馬の暗号 最後の手紙に隠された謎~幕末最大の英雄を暗殺したのは誰だ!?~』を見ました。(番組名を見た時大した事無いかなと思ったのですが、興味深いものでした)
確かに、↑番組HPに書かれている事をはじめ、龍馬に関する不思議な事はいくつかあります。

①まず、龍馬・中岡慎太郎ほどの剣の達人で、こめかみに刀傷を受ける事(致命傷)があり得るのか?龍馬はピストルも持っていたはず。それも龍馬の誕生日になぜ殺されたのか?これまで言い伝えられた来たような外からの突然の襲撃ではなく、中に居た者・龍馬と親しかった者の突然の犯行だったのではないか?1階にいた用心棒の(相撲取り)藤吉は、口封じの為その後殺されたのではないか?
②京都は新撰組など当時街を歩いているだけで斬り捨て御免の無法地帯の中、京都に居た龍馬がそれまでなぜ(寺田屋で幕府に)1度しか襲われずに済んでいたのか?
③なぜ手紙を何度も出せたのか?
④龍馬はなぜ88日間もの新婚旅行に行けたのか?

番組が挙げた疑問点
①暗殺後、峯吉が駆け込んだ先は、近江屋のほぼ向かいの土佐藩邸ではなく、なぜ往復3時間走って(中岡が隊長の)陸援隊本陣へ行ったのか?
②脱藩した後、家族がなぜ藩からとがめられなかったのか?龍馬の脱藩は、土佐藩の命によるもので、藩の密偵だったからなのではないか?
手紙は1通平均1両、現在の価値で10万円。龍馬が出した手紙は300通とも言われ、3千万円にもなる。とても下級武士に出せる金額ではない。手紙を龍馬が(姉)乙女に送り、それを志士に渡していたのではないか。龍馬が密偵になったのは、龍馬は武士と言っても最下級の郷士なので、もし何か失敗しても、斬り捨て御免で、使い捨てにする事が出来るからではないか。
しかし龍馬の器は、密偵を上回るものだった。

長崎で有名なグラバー邸。トーマス・ブレーク・グラバーは、イギリスの武器商人として、薩摩藩に武器を売り、長州藩に英国の武器を売りつける事で日本市場の開拓を目指しており、そのエージェント(代理人)に龍馬を使ったのではないか。当時交易のないイギリスは直接商売が出来ないので、そのダミー会社として“亀山社中”を使ったのではないか。
薩英戦争は、生麦事件の報復としてでなく、イギリスが薩摩藩と貿易をしたかったのが本当の目的。
その後初代総理大臣になる伊藤博文もグラバーの仲介役だったのではないか。英国と長州藩の下関戦争で伊藤は仲介役になった。龍馬は又イギリス行使パークスの代理人にもなっていたと考えられる。
パークスにより、イギリス軍艦が土佐に現れた事で、土佐藩は開国倒幕に転ずる。
パークスの日本語通訳アーネスト・サトウ(名字からすると日本人に関係あるように思われるが全く関係ない)は、論文(『英国策論』)で、“武力倒幕”を主張。武器を売る為、内戦になるよう仕向けた。
明治維新の立役者とされる(5百円札の)岩倉具視もサトウに精通。大政奉還の日、岩倉は朝廷から幕府を倒せと命令が出たとウソをでっち上げ(『倒幕の密勅』)、討幕派を動かそうとした。
一方、龍馬は江戸無血開城に奔走。

番組が一番注目したのは、龍馬が陸奥宗光に宛てた暗殺3日前の手紙(現物)に暗号が隠されているのではないかと言う事。その文中のキーワードは短刀・脇差・長脇差。

「一、陸奥に上げようとしている脇差(情報)は(西郷隆盛が兵を連れて大坂に入ろうとしていて)大坂から使い(西郷)が帰らないから、いつになるか分らない。
一、陸奥が誰かに持って来させた短刀(短刀は、背の低い“勝海舟”の平和路線の情報)は、私があげようとしている脇差(西郷の武力倒幕の情報)より良い品物である。大坂で研いだ刀が返ってきたらお見せしましょう。
一、私の長脇差(“長州藩”の情報)を見たいとの希望、お見せしましょう
(11月)十三日 謹言
陸奥老台 自然堂(龍馬の俳号) 拝」

この手紙で龍馬は、長州が武力倒幕に傾いていると言う情報を陸奥に知らせている。
この時期は大政奉還がなされた直後で一触即発・自身の暗殺の危機も感じていたにも関わらず、なぜ刀の事をのんきに書いているのか。特に文章の不思議な所は「陸奥に“差し上げよう”としている脇差が大坂から戻って来たら、その刀を“見せよう”」と書いているところだ。

この頃、龍馬は孤立無援状態だった。
龍馬暗殺の2週間程前、サトウの日記(『遠い崖-アーネスト・サトウ日記抄』萩原延壽著)には、「今日リョウノスケが来た」と書かれた記述の所に消された跡があり、そこには「MUTUが来た」と一旦書かれており、陸奥が来たと言う事が分かる。龍馬が身内だと信じていた陸奥はサトウのスパイだった。11月1日サトウに「(武力倒幕の用意は)万事順調に進んでいる」と手紙に書いた差出人は薩摩藩士 吉井幸輔、龍馬暗殺後、現場に駆けつけた人物だ。これらの人物は龍馬暗殺についての記録を残していない。京都見廻り組の今井伸郎が事件の33年後犯行を告白。しかしその供述に異議を唱えたのが、龍馬暗殺の現場に駆けつけた(後の農総務大臣)谷干城。
事件後駆けつけた人物は、全てサトウと通じていたのではないか。
遺留品(刀のさや・下駄)は、あいまいな記録だけで、現物は残されていない。
近江屋に訪れた暗殺者とされる“十津川”は、作り話。実際に訪れたのは、事件後に来た者が全て共犯(谷干城・吉井幸輔・田中光顕・白峰駿馬・毛利恭介・中岡慎太郎)。表には見張りが立ち、事件後、土佐藩医が駆けつけた。
そして、番組では龍馬を殺した犯人は、何と、中岡慎太郎だとする。中岡は「戦火をくぐらぬ革命は無い」と主張する武力倒幕派の1人で、岩倉とつながっており、暗殺の2日前、中岡と岩倉は、薩摩藩邸の吉井を訪ねている。吉井は大久保利通の代理人。岩倉と大久保は、中岡に龍馬の暗殺命令を下し、明治政府の実権を握り、緘口令を強いたのではないか。隊長(中岡)を殺された陸援隊に何の記録も無く、犯人を探りあだ討ちした形跡もなく、2日命永らえた中岡は犯人について語っていない。中岡に付けれた30近い傷跡は、龍馬から反撃されたピストルの銃弾後を隠す為だったのではないか。
龍馬殺害に関わった人物・密偵は、ほとんど明治政府の要職についている。
サトウの日記には「全く姓名負傷の3名の男に殺害された」と書かれている。事件3日後、吉井幸輔から寄せられた情報で、吉井は新撰組の犯行と主張していたはずなのに、この日記には新撰組とする記述は無く、なぜか3名と記されている。谷・田中がとどめを刺したのではないか。

そう言われて思うのは、現物京都霊山護国神社は、明治天皇が幕末の志士達を弔ったとされていますが、明治政府の要職に就いた人物の働きかけで造られたのではないかと思ってしまいますね。

龍馬は最下級の武士の出でしたが、相手からみれば、今後どんな影響があるか分からない、それだけ大きな力があったと言う事ですね。

明治天皇から王政復古の大号令が発せられた頃、サトウの日記には「終わりの始まりが開始された」と記され、自分が仕掛けた内戦が現実のものになったが、江戸総攻撃の2日前、中止になったと番組では締めくくられている。
しかし、この後、西南戦争・会津戊辰戦争など内戦状態へと日本はなっていくんですよね・・・。

今回の大河ドラマ龍馬伝では、どのように描かれるのか、どちらにしても楽しみです。
また、これまで言い伝えられて来た龍馬の事が、伝説だったとしても、それはそれで、後世に伝えるものだと思います。

坂本龍馬のマンガ『おーい竜馬(小山ゆう作 小学館ヤングサンデーコミックス 全23巻 文庫サイズも)』は読みやすく、お薦めです。

龍馬伝を観て思ったこと

<第1回>
①桂浜にある龍馬像。昭和3年に名もなき青年達の募金によって建てられ、銅像の後ろには、個人の名前はなく、ただ『高知県青年』とだけ刻まれているとの事。
政治家は名前を残そうとしたり、銅像・建物を立てたりしますが、大事なことは、何をやったかであり、人はどうあれ私自身は、名前はどうでもいいと思っています。

②岩崎弥太郎の子供時代、鳥かごを売る為に歯を食いしばりながら担ぎ、休憩の時には本を読む(二宮金次郎のような)姿に、自分のその時とを比べれば大変恵まれた生活を送れたので、もっと頑張らなければと思いました。

<第2回>
龍馬が川の氾濫をふせぐ工事の指揮を取る事に。そこで働くのは農民。農民は龍馬に対し「わしらはおまんらを見下しちゅうがじゃ。米をつくりゆうがはワシら百姓じゃ。下士は何もしちょらん。一体おまんらは何の為におるがじゃ!わしらは畑仕事があるのに、働かされちゅうがじゃぞ。あそこに座ってああせいこうせい言うだけのおまんには、ムカムカする。土佐にいらんもんは下士と犬のクソじゃ。役立たずの侍もどきが!」と言う。龍馬は「そうじゃのう。ワシらが毎日食いゆる米はおまんらが作ってくれたもんじゃ・・・」と言って農民と同じ仕事をする事にする。
このやり取りをみていて、現代でも、世間からみた政治と行政と同じだと思いました。