2014年7月24日の活動

市議と意見交換。公契約について。
労組役員さんと意見交換。
元県議と意見交換。

福島第2原発、視察。
 今日の被ばく量は、最大0.02マイクロシーベルトだと、事前に説明を受けた。
(福島への移動中に、第2原発の震災時のビデオを見る)
福島第1原発と第2原発の距離10km。
 第1原発と同様、震源から180km。16mの津波で全電源を失い、総理から緊急事態宣言。メルトダウンの危機が非常に高かった。津波はガレキも運んで来る。
 第1原発事故との違いは、中央制御室の電源を失わなかった事。マニュアルに無い対処法で、何とか乗り切った。


津波にやられた道の駅 よつくら港(福島県いわき市。当時の写真)。0724_03

 

道の駅周辺の津波時の状況。0724_04

 

 道の駅 よつくら港 (福島県いわき市)で昼食を取った。周りの住宅街が津波でやられている事が分かる。道の駅の津波当時の写真も展示されていた。道の駅のとなりの子育て支援施設は、津波後、アメリカの財団から寄付されたものだと聞いた。
 楢葉町に入ってからは、家のてっぺんが地震で壊れている家が目立ち、そういう家は住んでいないのだろうと思われた。耕作地も草が生えている所が多い。


原発事故の影響で、通行止めの告知看板(常磐道のSAで)。0724_01

 現在、常磐線は、いわき~竜田まで通っている。
第2原発施設の検問にいたのが、埼玉県警の警察官だったので、バスを降り、お礼を述べた。

福島第2原発施設に入り、副所長から、まず原発事故について、お詫びの挨拶。
 震災後、3月15日に冷却停止したとの事。
(安全統括部長さんから説明)
 東京から210km。第1原発に比べると、半分以下の敷地に4炉。
 楢葉町・富岡町に各2炉。運転開始から30年以上経つ。
 震災時、原子炉はフルパワーで運転中だった。地震で壊れたものは無かった。


津波にやられた電源。(保存されている)
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 敷地内で低い所は、海抜4m。海抜15mの所まで、浸水した。
原子炉8つの建屋のうち、1つを除いて、浸水した。1つはガレキが偶然、建屋のドアにぶつからず、金具も損傷しなかった。
 免振重要棟なども浸水。ガレキがドアを押しつぶして、浸水。緊急時対策室も真っ暗になった。
 原発敷地の海岸は、60cm地盤沈下。
 原子炉除熱機能が喪失した(原子力災害法10条)。
 原子炉圧力抑制室内が100℃を超えた(原子力災害法15条)。国が住民に避難を要請。
 津波が引いてから6時間後(津波警報中)、夜10時頃、現場確認。必要な物を洗い出し。翌日、調達。東芝三重工場から自衛隊で空輸。
 廃棄物建屋の電源が生きていた。
 電源ケーブル9km分をつなぐのに200人を動員。通常1か月機材を使って行う作業を、手作業で1日で行った。ベントのタイムリミットまであと2時間だった。(ケーブルは1mで5kgあり、実際に持たせて頂いた)
 事故後、敷地内の最大放射線量は、180マイクロシーベルト。現在0.2~0.7。事故前は0.05~0.06だった。
(施設内を見て回りながらの説明)
 事故後設置した仮設の防潮堤15.4m。事故前の津波想定は5mだった。


原子炉内に私が入る上で、防護服を着る。原発施設内の被ばく量によって、着る服が違う。青は中レベル。
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(4号炉の原子炉建屋に私が入る上で、防護服を着て、靴を履きかえる。長い軍足・軍手をズボン・防護服の上にかぶし、服の袖口から入らないようにする。軍手の上に、ビニール手袋をする。この時点で暑い。被ばく量が高い場合の防護マスクを見せて頂いたが、見ただけで過酷さが想像される。まして炎天下だったら)
作業員は、今の季節、スーパーサマータイムで、作業時間は、朝3時から昼まで。


福島第2原発【炉心のすぐ下】機器は、燃料棒1つ1つの制御。
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 原子炉燃料棒の下(ペデスタル)に入った(かがんでいないと、立っていられない)。中性子の計測器が、180本の燃料棒それぞれに付いている。


原子炉建屋内で、燃料棒(模型)を持つ。
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 (私が質問した事の回答)燃料棒は長さ4mで、使用期間は、稼働状況にもよるが、4,5年。


私の後ろが、原子炉(黄色いのが上部のフタ)と、燃料プール。
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 (燃料プール・原子炉圧力容器の上から見ながら)福島第1原発の場合、この目の前に見える鉄骨など爆風により燃料プールの上に散乱して、廃炉作業を難航させているのだなと思いました。
 浸水した電源に津波の跡を見ました(今は使われていない)。
 私から副所長・安全統括部長さんに質問したのは「先日、国会議員に『国会に使用済み核燃料をドライキャスクの状態で、置いたらどうか』と提案したところ、『いくらかかるのか』と聞かれたが、ドライキャスクは1基いくらするか?」お答え頂きましたが、入札があるので秘密にして下さいとの事。
 また副所長さんから、Jビレッジは、現在事務スペースになっている他、グラウンド部分には、単身の社員寮が3棟建っていると聞きました。
 原子炉建屋から出る時、中で着ていた防護服を脱ぐ際、「きれいに脱がないほうが、被爆しにくいです(服に出来るだけ触らない)」と説明されたのが、印象的でした。(密閉した雨ガッパを着ているようなものなので、汗ダラダラでした。室内で30分くらい移動していただけですが)
 
 今日の原子炉などでの私の被ばく量は、0.01マイクロシーベルトでした(私の胸ポケットに入れた計測器)。

夜も東京電力労組役員の方と会合。
(福島泊)