2014年7月25日の活動

いわき市内で被災された語り部の方からお話を伺いました。100人の遺体を確認された方。(以下、お話)
 原発事故の関係もあり、復興は進んでいない。
 震災以前の津波は20~50cmだったので、津波の知識は無かった。その事が大災害につながった。
 18~25m海の水が引いた(写真で見せて頂く)。その後、津波が山を25mかけ上がった。
 海岸の見晴らし台の高さが6m。第3端の津波(10m)で多くの家がやられた。
 その日は卒業式で中学生に被害は無かった(豊間中学校。写真)が、それ以外の子供の被害があった。
 この地区の260世帯中、247世帯が被害、約150人が亡くなり、今でも10人が行方不明。
 救援・救出も原発事故で遅れた。救出が最初に来たのが3月14日朝。しかし水素爆発により、すぐ撤退。住民はなぜ自衛隊が引き上げたのか分からなかった。
 救出が来たのは10日後(3月21日)。みんな亡くなっていた。
 車内からガラスを割って人を出そうとしても、車がひしゃげて、体がはさまっている。
両手に物を持って逃げた人は亡くなっている。片手が空いていれば、物につかまって助かっていた。遺体の損傷がひどく、津波の泥で男女の区別さえつかない。
 ガレキに放射性物質があるので、持ち出し禁止になった。


復興住宅(原発事故の影響で地区からの転出者が多いとのこと)。左側は建築中の戸建。0725_10

 復興住宅を100世帯分つくっているが、67世帯しか戻って来る意向が無く、地区から人がどんどん出て行っている。
 原発さえ無ければ。自然災害だったら、海産物の加工業も出来るが。(以上、お話)

スーパー前、震災翌日の列。皆さん、備蓄はされていますか?
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この語り部の方は、美空ひばりさんの歌「塩屋岬」の石碑の目の前のお土産屋さんをやっており、事前に電話で予約すれば、少人数でもお話可能との事(山六観光 0246-39-3636)。慰霊碑の募金も行っている。
昼食が、小名浜港にあるいわき市観光物産センターだったのですが、震災展をやっていました(長期間開催で終了予定無し)。
埼玉に戻り、前衆議院議員と会合。
さいたま市議と意見交換。危険ドラッグ規制条例制定の必要性について。
県薬務課。危険ドラッグの埼玉県での規制強化。