2015年2月2日の活動

市民要望対応。
県議と意見交換。
事務所。

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『I am KENJI』の紙が外せない
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 私の事務所前に掲示した『I am KENJI』を外す事が出来ないでいます。
 「忘れてはいけない」「自分なりに考え、学ばなければいけない」と思うからです。
 今日昼間の段階では、まだ生きているのではないかと、かすかな希望を抱いていました。明日事務所前を通られる方の中には「亡くなったのに何でまだ?」などと思われる方もいるかも知れません。『I am KENJI』は、単なるブームではないですよね。明日になればTVでは、別の新たな事件が報道されるでしょう。「後藤さんは死んだんだから、もう終わり。悲しい番組は見たくない」と思う人もいるでしょう。
 でも、亡くなられた後だからこそ、メディアで言われている事を、自分達は鵜呑みにするのでなく、見えていない部分を想像し、自分の頭で考えないとと思います。人生観も変わるかも知れません。

【吉田松陰に学ぶ】
 大河ドラマで今年は、吉田松陰を取り上げていますが、下に添付した文中には「鎖国という法を破り、海外に渡航しようとする者は、幕府は捨て置くという江戸時代の日本の中世の世界観と、今は瓜二つ」と書かれています。
 吉田松陰が生きていた時は、周りの人間は松陰の言動を煙たがる。(日本の為に世界を知らなければと、死罪になる事も覚悟して、黒船に乗ろうとしたりしても)誰も動こうとしないから、自分が動かなければと、更に動く。幕末が明治維新へと動いたのは、松陰が打ち首になった後、松陰の門下生が動いた。
 添付した文中、一番重い言葉は「“自己責任”の考え方は、典型的な『強者』の理屈」という事。ジャーナリストだけでなく、どんな分野の仕事も本当の現実を知るには、現場に行かなければ分からない。それも後藤さんは、一番自分自身の身の危険を伴いながら、日本人に情報を伝える仕事だった。
 後藤さんが伝えたかった事は何か。後藤さんが事件に巻き込まれて見えて来た事、隠されているのではと思う事は何か。後藤さんが殺された後、私達日本人はどう動くか。

「自己責任論」で中世に退行する日本(古谷経衡) livedoorニュース 1月25日

 

TV局の記者は、危険地帯に行ってはいけない決まりがあるので、フリーの記者である後藤健二さんに頼んでいたという。
 後藤さんは、1年前にも、シリアで身柄を拘束された事があるとの事。
 「身を賭す報道人がいて、初めて伝わる惨状がある」との言葉が重い。
 先ほどFBに書いたような事が、日経の今日の社説に載っていたのを発見。
 今回のシリア入りは、どのTV局からの依頼だったのだろうか?

日本経済新聞 2月2日