2011年10月12日の活動

埼玉県内の過去の台風被害

県議会危機管理防災特別委員会。
 洪水対策・水害軽減への埼玉県の取り組みについて説明を受け、頂いた資料を見て感じた事を提案。「東日本大震災での教訓は、津波にあった地域には住んではいけないという事であった事から考えると、洪水被害にあいやすい地域は住まないほうがいいという教育を高校で行ってはいかがか?(今後ゲリラ豪雨が増える事が考えられ、堤防を高くしたり、雨水を一時的に溜める調整池をいくら作っても限界がある)不動産屋さんに洪水ハザードマップを貼ってもらうなどしてはいかがか?」


洪水ハザードマップ


除染を担当した特殊部隊長の講演


県議会防衛議員連盟。講演会:福島原発事故における自衛隊の状況。
 講師:陸上自衛隊中央特殊武器防護隊(以前はテロ対策が有名だった)隊長 岩熊真司氏。

 (災害時など)非常勤務体制が解除されるまで家に帰れない。東日本震災時、任務がまさか原発になると思っていなかった。まさか原発事故が起こると思わなかった。
 震災当日、原発が少し危ない状況だという情報。自衛隊でも中々情報がつかめない。
 翌朝、原発が危ない状況だと伝わる。
 第1原発のみが注目されているが、第2原発も注水しなければならないのは同じ状況だった。川から水をタンク車に汲んだ。
 厚さ4センチの鉛を着ないと直接的な放射線から守れないが、300キロになるので、放射線の微粒子を付着させない服を着た。
 原発の状況の教育は受けていないが、どれだけの放射線を受けてはいけないかという教育は受けている。敷地内に近付くとガイガーカウンターのレベルが上がって緊張が走る。当然、カウンターが上がる中で訓練などした事はない。
 3号炉の給水をする地点の現場を確認した瞬間に、水素爆発。爆風で打ち上げられた(元々幅1mの壁だった)コンクリートが落ちて来て、隊員がケガを負う。
 タンク車は、水素爆発するまでは冷却システムが機能したから出来たが、直接放水に切りかえ。
 300ミリシーベルトの地点もあり、50ミリシーベルト以下の所を探して作業。東電の関連企業の方のお陰で作業しやすくなる。
 福島県立医大病院には除染の施設があった。


右上の写真は、頭部の除染をしているところ。服を着ている所は守りやすいが。


福島県庁内の除染装置


 Jビレッジからは未だに千人以上の人が朝20キロ圏内に入って行き、帰ってから除染。除染に使った水は外に出さないようになっている。

 被災者の20キロ圏内一時立ち入りで、誰一人決められた2時間をオーバーする人はいなかった。
 20キロ圏100ミリシーベルトの中で遺体収容作業をした隊員を除染。
 何があっても最後は俺達が守る。
 被災者の皆さんからの激励が身に染みた。日頃は「お前達はいらねえんじゃねえか」と言われるくらいが調度いい。
 講演終了後、自衛隊の皆さんに挨拶。

支援者と会合。
県医療安全課。
 先日お願いした小児2次救急医療についての関東他県と埼玉県の取り組みの違いを、調べて頂き、神奈川県と東京都が、埼玉県よりも力を入れていた事が判明。関東だけでなく、近畿・関西圏での状況の調査をお願いした。

農林部調整幹。製茶調査結果について説明を頂く。
狭山市環境経済部長・茶業協会役員・市内茶業者さんに電話でお話を伺う。
県農林部副部長。今日の製茶調査結果を受けて今後の対応について私の意見を述べる。
他会派県議と会合。