2013年3月17日の活動

市民相談。

原発事故により福島県から狭山市に避難して来られている方々との『まごころ昼食会』。
 狭山の福島県人会や堀兼地域の方々が運営に携わっている(市農村改善センターにて)。
 今回私がお邪魔したのには、明確な意図がありました。「原発についてどう思うか?」震災から2年が経った時点で避難されている方から直接お話を伺う為だ。この課題は両論あるので、出来れば両方の意見を聞きたかったが、聞く事が出来た。福島原発がある双葉町や大熊町などの方からお話を伺った(以下概略)。
 狭山に避難して来てから孫が生まれたおばあ様からは開口一番「原発が、にくい」と言われ、「政府と電力会社のいいような都合に私達は振り回されている」。
 狭山に避難して来てから生まれたのは6人との事。よちよち歩きの子供が転びそうになった時に、つないだ手の指が小っちゃくて、とってもかわいかったです。この子の為にも頑張ろうと思いました。
 「乞食と言われるような生活がイヤ」
 「うちは福島原発の電力を使っていない。東北電力だから。国会と東京電力本社を福島に持って来て欲しい」
 福島原発で東京電力の関連会社で働いていた方からは「原発について反対とも賛成とも言えない」とおっしゃられ、同級生の3割くらいが原発関連で働いているのではないかと言われ、「震災翌日の12日に朝5時半に『津波が来るから避難して』と役場からでなく、住民に言われて、津波が去ったら、すぐ戻れると思って、本当に着の身着のままで避難した。原発が危ないというメールも来なかった」
 「携帯が通じたのは、12日の夕方。まずはメールからだった」
 「原発が爆発した後、家には帰れるのか周りの人に聞いた」
 「“避難”という生活がイヤ」と言われ、その方と別れる時にその方から「どうもすみません」「こういうイベントにいつまで参加していいのか迷います」と言われ、私から「何も悪い事はしていないのに“どうもすみません”と言わなければならないのはおかしいですよね」と申し上げました。
また別の方からは「原子炉の厚さ2mのコンクリートの壁が吹っ飛ぶなんて住民は想定していなかった。原発は福島だけでなく、全部やめて欲しい」
 「うちの家は屋根がくちてしまい、そこから放射能が降り注ぎ、2階部分は線量が高く、15(マイクロシーベルト)くらいある」
 「富岡町は東京で雪が降っても降らない温暖な所だったが、6年帰れないと言われている」
 「住民を帰せば、賠償金がいらないから、行政は住民を帰す事を考えている」・・・
何人かの方は泣きながらお話下さいました。でもあえてここで言わなければならないのは、私がたとえ聞かなくても、その方々は1人で泣いていると思います。被害に遭った皆さんの思いを、新聞・TVから伝えられる情報だけでなく、我々全ての日本人は共有し、東日本大震災の原発事故による避難によって亡くなられた方などの教訓を無にしない事が重要だと思い、個人が特定されない範囲で、掲載しました。

JAいるまの「あぐれっしゅ川越」直売所を見学。東京狭山線開通後、狭山市に整備する予定なので参考に。

アンパンマンの やなせたかしさんの作品展(川越市立美術館)。
 やなせたかしさん現在94才。アンパンマンが世に出たのは54才の時。
 『手のひらを太陽に』の作詞者でもある。
 ただ1人の弟を特攻で亡くし、戦時中、ひえ・あわを食べるひもじい思いをし、アンパンが好きな理由を「ひもじい時は、甘いものがいい」と語っているとの事。
 私が一番気にいったのは「バイキン小唄」の詩。「宇宙から見れば地球は夏みかん、人間なんてバイキンだ。影も形もわからない。ああ何といういじらしさ。ケンカなんかよそう。仲よくしよう。どうせ 俺達は バイキンだ…」

川越市立博物館。
入間市議選挙事務所3か所。
 責任者として動く。11時の投票結果を聞いて、手伝って下さった方々にお礼のメール・電話をし、帰る。