2010年12月19日の活動

地方政府の多様化を進めるシンポジウム(日本橋。私費)。
 議会基本条例について福島県議会議員の話。制定したが、理念先行し過ぎ、内容抽象的過ぎ、無いのと一緒。住民が議会をしばるようなもの。でもお前も賛成しただろうと先輩議員に怒られる。
 栗山町 議会基本条例をつくる3年前、中長期の財政分析を議員が分からないとダメだと議会事務局長が仕掛けた。その後、総合計画の対案を出した。 大村市議会は、修正否決は当たり前。年に数回ある。
 千葉県白井市議会、庁舎建てかえのほうが高くかかる事が分かって、議会で止められた。
 会津若松市議会、議会は今後何を目指すか→協働型議会。有効に機能する委員数7~8人とし、議員数の根拠とした。
 半田市議会 10%減税を全国初で達成、年8千円/世帯、市予算7億円、議員全員賛成。議員内閣制の特区申請行った。

総務大臣 片山善博講演。
 議会が機能しているかは、かなり疑問。死んでいる。(大臣就任後も大学のゼミは週末に教えており)ゼミ生が議会を傍聴した感想は「お経か祝詞(のりと)を聞いているようだった」。
 議会は不思議な所。色々議論するけど、結論は決まっている。議論は考えを変える為にする。何の為に議論するのか=説得。ところが現実は、やらなきゃいけないからミスをしないようにやるだけで、何の感動もない“消化試合”。外から見ていて非常に変。可決率100%なら、一日で開会と共に可決すれば。
 知事をやっていた時、議案で政策上の間違いあった。会派は十人十色のはずだが「個人的に反対だけど、会派で決めたから賛成」世間はおかしいと思うし、全く住民から信用されない。
 議員になったら変な行動が是認される。鼻薬をかがされているんじゃないか。 大体“傍聴”と言う言葉がおかしい。“傍”は道端に転がっている路傍の石で、かたわらという字だ。何で市民が主役でなくそういう扱いなのか。
 アメリカの地方議会は普通の会議室。市民と議員の区別がつかない。日本だと議員は態度ですぐ分かる。米国ではバッチもない。議場でまず市民の意見を聞いてから議論する。決めるのは議会。いろんな意見を聞いて、政策を決定する。意見を聞くのが使命。多様化を可能にするフィールド。どこも同じような議会システムになっているのは、議員がきちんと働いていないから。それを象徴するのが阿久根と名古屋。阿久根は民主主義の破壊。リングの上で、議論でねじふせるべき。 地域主権改革は、知事の為のものではない。
 “一括交付金”について。財源を減らす目的でなく、道路の補助金は道路、学校は学校にしか使えないのを改めるもの。来年度5千億円強の補助を配分、再来年市町村に。枠の範囲は、何の事業でどこの箇所か。中身は自由に決められる。
 “臨時財政対策債”について。不健全。出来るだけ減らさないといけない。来年度変える為に今やっている。
 “地方債”について。国の関与を緩和しよう。事業毎に県の同意を取っているが、何の意味があるのか。財政破綻しない為なので、包括管理(ワクでの管理)で「この程度は自由にやって下さい。それよりも超えて借金をする場合、制限します」。市・県・国も楽になる。決めるのは議会。借金が自分で出来ないのは、未成年・成年後見制度の高齢者と地方自治体。しかし、自治体によっては、不安だと言う所もある。
 夕張市の財政破綻、「見抜けなかった」と言うのはウソだ。粉飾をチェックせず、大規模な公共施設を造り続け、どこかの段階で住民投票をやっていたら「NO」と言えて、破綻を免れたはずだ。
 地方自治法改正のひとつに“直接民主制の拡充”。議会の権限は住民から預けられている。議会の権限を侵すものでなく、ちょこっとお返しするもの。 議会の“会期”は、農産物の関係で出来たもので、今は必要ない。
 “大阪都”について。大都市は大きくなり過ぎ、横浜市で言えば教育委員会は五人で五百の学校を見ている。
 三重県議会議長の話。与野党を作らない。知事の選挙応援をしても、選挙が終われば縁を切る。会期を(以前は106日だったが)240日にして、ぶつ切りで出来なかった公聴会を出来るようにした。傍聴者規則はなく、録音・撮影OK、氏名を書く必要もない。全ての会議を公開(会派代表者会議、全協)、役員改選の検討が速くなった。
 福島県議会議員の話。“県の声を市民に届けている”のが実情。
 富津市議会議員の話。質の悪い議員をどうすれば出られないように出来るか考えていきたい。