貧乏だった私が18才の時、『奨学金』をもらう上で、どこの新聞販売店に配属されるか事前に分からず、墨田川を渡った時、🌸桜がキレイでしたが、不安でいっぱいでした。若い時代の不安感を仕事上 忘れる訳には いきません。
🔶勉強しながらの新聞配達・集金・拡張(営業)の生活は つらかったですが、 浅草は、下町で とてもあったかい街(何件もの方が、ご飯をご馳走して下さったり、新規に新聞を購読して下さったりしました。夕刊を配っていると、玄関に🍙おにぎりを作って置いてくれたり)で、気持ちが救われました。👧次の世代👨に【恩渡し】しなければ。
まさか 🗼スカイツリーが住み込みしていた職場(玉ノ井)の近く(業平橋)に その後出来るとは思いませんでしたが。(📷東京マラソン🏃のコースにて。)
精進が自分は足りません。後日、『奨学金』についてまた書きますね。いつもありがとうございます。
この話には、実は『続編』があるので、後日。
『続編』を、書きました。また、書きますね。
「自分は『社会の底辺』にいる」と思った出来事
頂いたコメントを紹介します
「中川さん立派です☆」
「日本の子供たちは、奨学金地獄可哀想です」
「私の頃も 集団就職みたいに新潟出身の学友が 沢山居ました!一日一食の地方の人も居ました!」
「玄関におにぎり、泣けます。」
「大学通いながら新聞配達と集金をしていた友人がいましたが尊敬しかありませんでした。自分で学費払っていたので授業にもしっかり出ていました。」

