2013年1月26日の活動

「発達を促すコミュニケーション」をテーマに講演会(狭山工業高校にて)。
主催:狭山中央病院リハビリテーション科 子供発達センター。(以下、講演内容)

 「大人の目では、曇っていて見えない」←狭山市青い実学園の先生の話で印象に残った言葉(以下も)。
 「山の上り方は色々ある」学校選択も100%ここがいいというものではない。こういう決まりだからというのはキツイ。専門家から言われるだけでなく、行ってみる事が大事。

所沢おおぞら特別支援学校の先生の話。
 普通学級に発達障害のある児童生徒がいる割合6.8%(昨年暮れ発表になった情報)。
 特別支援学校の生徒数は平成19年度から大幅に増。3年間で全国で3万人増えた。
 特別支援学校高等部で軽度の発達障害の生徒は約3割。
 書くのはカタカナのほうが直線で簡単で、ひらがなは曲線なので難しい。
 (実際に教室で、しゃべれない障害児童とどんなやり取りをして、その後その児童がどこまで出来るようになったか、ビデオで説明を頂き、分かりやすかったです)

埼玉医大総合医療センターの専門医の話。
 赤ちゃんは物をなめたい訳ではなく、なめる事で物を認識しようとする。
 生後5か月くらいで笑う(以下あくまで目安)。6か月くらいで人見知りが始まる。
 生後10ヶ月くらいでお母さんが手で隠した物を、隠したと認識する。共同注視というが「あれ見てごらん」と指差しを理解する。ものまねが始まる。
 11カ月くらいで「ちょうだい」に応じる。
 1歳くらいで母親を求め、泣いたりする。1才後半から周りの子を気にするようになる。
 女児は2才で「ちょうだい」が言え、男児は2才後半で言えるようになり始める。
 2才くらいで「これ何?」攻撃が始まる。
 2才くらいで(両手が使えるので、まず)靴を脱ぐ事から、下半身の着替えが出来るようになる。
 排泄は鬼門。パンツを吐いたサルという本があった。陰部を隠すのは文化の原点。
 3才くらいまでは家族との関係性が育つ。アタッチメント(愛着)理論。自閉症は別。
 3才半くらいで、お母さんの顔を見て許可を求める。
 4才で言ってはいけない言葉(うんちなど)を乱発するのは、言ってはいけないと知っていて、言うと親が反応するのを知っているから。
 自閉症の多くは3才頃にオウム返しが出て来る。オウム返しが出来るのは、ミラーニューロンという脳の神経細胞。
 言語は鍛えるものではない。あせらない。スパルタでやると子供は拒否するようになる。社会性を育てなければ、言語は育たないので、社会性を育てる事。子供が関心を持っている事に言葉をかける。視覚認知が育たないと社会性が育たない。対面者が舌を出すと子供が舌を出す。
 1才半健診が大事。保健師さんが親に声をかけて来る。
 口の運動機能の障害を音韻障害という。
 自閉症について。男児に多く、遺伝はわずか。社会性がある程度育ってから幼稚園などに入ったほうがいい。枠組みを外からつくったほうがいい。見ているものを実行中継してあげるといい。ワンパターンの遊び方に、微妙な変化を与えてみる。
 ADHD(注意欠陥・多動性障害)について。3才までの子供はほとんどがADHD。小学校に入ってから診断され、親と学校の先生が一致している事が条件。15%以上が非行的になる傾向なので、愛情を持って。いい事をやったら、シールを貼ってあげ、自己統制力を付けさせる。
 ADHDの有名人はウォルト・ディズニ―。好きな事をやらせて。
 のび太君。同じような子がクラスにいると友達になる。ジャイアンと友達になろうとするのが、いい事ではない。
 読字障害で有名なのは、トム・クルーズさん。takeと書いてテイクと読まされるのがつらい。音声を使って耳から学習する。日本では字が読めないとダメと思ってしまう事が多いのではないか。
 書字障害はワープロに頼るべし。
 アインシュタインは5才まで発語無し。16歳でラテン語がからっきしダメだった。
 サバン症候群。社会性が高くなると特異能力が落ちていく。
 日本人は相手の目をあまり見ない文化で、相手の目がどこに向くかをよく気にする。
 脳性マヒの子は昔より減った。
 15年くらい前から発達障害がかなり増えて来た。
 発達障害の原因は、予防接種・環境ホルモンのせいではという説があったが、そうではないと思うし、よく分からない。ここ3年くらい発達障害の新規の人・相談が減っている。

主催の先生のご配慮で、私の取り組みについて会場の方にお話をさせて頂きました。
 以下は会場で保護者などからの相談の発言。
 医師によって診断が違う。
 狭山の青い実学園のような施設は、所沢(松原・樫の木)では幼稚園との併用・連携が無い。
 保健センターで、たった半日で子供が判定されるのは親として納得がいかない。

私が主催する党埼玉県連政治スクール。
 今日の講師は、菅 直人元総理。原発事故時、実際どうだったのか、脱原発政策について今どう考えるか、私自身聞きたくてお願いした。
 講演と言うより、机も置かず、膝づめでのフリーディスカッション形式(以下、菅衆議院議員の話)。

 

菅直人元総理に“脱原発”政策について聞く。
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 東日本大震災時まで、原発事故に対する体制が無かった。
 原発は燃え尽きない。震災時、福島原発からもし撤退したら戻れないと思った。事実上放棄になる。チェルノブイリは1基だった。もし離れれば統制困難になり、日本の1/3、250km圏内が避難移転希望を認める区域になった。範囲は青森県を除く東北、埼玉県はほとんど入り、神奈川県の横浜・新潟県まで。入院している人も出なければならず、亡くなる。東日本大震災でも50人が亡くなった。自衛隊に原発の部隊編成は無い。何としても撤退はあり得ないと、東電の本社に行き、結果としてそれ以降は撤退の話は無くなった。

 

菅直人氏著書『東電原発事故 総理大臣として考えたこと』より。
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 安全性はリスクの分散が必要。原発に頼らない。原発が無ければ電気が来ないという事は無い。
 もうひとつ大きいのは、使用済み燃料。震災時、4号機は定期点検中で、原子炉にあった熱い燃料を移していた。もしそれがメルトダウンしていたら、ストレートに外に出る。
 枝野氏は官房長官として大変良くやってくれた。私が勝負をかける時は大抵枝野氏に声をかけている。
 オンカロ。映画『10万年後の安全』を観た。日本でそれほど安定した地層があるのか。10万年前はネアンデルタール人の時代。次の10万年後は、人類がどうなっているのかさえ分からない。
 総理として最後の仕事だった電力の固定価格買い取り制度。価格の見直しを行っても、それ以前に購入したものは値段が変わらない。
 風力発電導入の1番は中国、2位は米国。
 これまでは電力会社への遠慮があって、日本の風力メーカーは国内で積極的ではなかった。
 政権が代わって心配しているのは、再生可能エネルギー政策にブレーキがかかる事。再生可能についてポテンシャルは日本に向いている。
 30年代に原発ゼロになるように、あらゆる手を党として尽くす。
 大飯原発の再稼働ばかりが注目されたが、震災前、原発54基のうち27基稼働していた。現在稼働は2基。かなりハードルを上げた。
 原発の海外への輸出は震災前は、ベトナム・トルコへ私自身トップセールスしていた。

 民主党について。民主党惨敗の理由は、政策うんぬんというより、党がまとまりきらなかった。後ろから鉄砲玉が飛んで来る状況だった。
 根本に戻った議論を。自民党に代わる党をと思っている国民は今でも沢山いる。しかし、それが民主党なのか。外からの意見を聞く事が少なく、色んな意見を聞いたほうがいい。自民党に思想が近い維新の会が2代政党になるとは考えられない。民主党には綱領とは呼んでいないが、以前からある。
 政党を要請する機関が海外にはある。2代政党で、政党は社会的公共財。英国では地方でオーデションを行う。自民党は2世・3世が未だ多い。

 日銀について。今回やっている事は金融緩和。日銀で買い入れるのはおかしな話。自民・民主党内にも賛否ある。問題は金を使ってくれる人がいない事。
 貿易黒字になると円高になるが、今はヨーロッパの影響で円高に。消費税を上げるから多少増発してもとなっている。民主党政権時代つらい思いをして、自民党になっていい状態になっている。
 財務大臣時代、プライマリーバランスについて、2015年までに5割。20年に0にと思った。
 経済政策について“第3の道”と私は呼んでいる。日本経済のこれまでを3期に分けて考える。新幹線整備などインフラ整備時代。田中角栄時代に出稼ぎをしなくて済むようになった。本州に3本も橋が通ってもまだ橋をつくれと言っている。3期は小泉時代の間違い。デフレ時代なのにデフレを進めようとした。国民を国はリストラ出来ない。第3の道は雇用から入る。公共事業は投資で社会保障は負担だと言われたが、社会保障も投資だと思う。
 (スクール終了後、菅衆議院議員に個人的に2時間、脱原発政策に絞って伺った。後日更新予定)

 

勉強会終了後も個人的に、震災当時の事を聞く。
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