2005年5月6日の活動

8時起床。
資源ゴミを出した後、三宅島レポートを更に編集する(かなり時間かけちゃったなぁ)。
会派事務。
議員と意見交換。
資料調査(夜8時半過ぎまで)。

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憲法問題を考える番組を見た。
 「政治や権力と言った薄汚れたものとは無縁の世界に僕らの世代はいた」と言った表現があり、十ぱ一からげにみれば自分もその一部と見られるので「政治が薄汚れたものかぁ」とひとつため息をつく。言われて仕方のない人もいるが。

番組の中で印象に残った言葉
☆戦後どこかの国の首相の言葉「過去に目を閉ざす者は結局のところ、現在にも盲目になります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者はまたそうした危険に陥りやすいのです」。
☆旧西ドイツ首相の言葉「我々は、国民的遺産のすべてを引き受けなければならない。歴史という本から気に入らない章を破ってはならない」。
☆アウシュビッツの生き残りの方の言葉「罪を感じる能力だけが私達を人間的にする。客観的に見て私達に罪がない場合には、とりわけそうである」。
☆映画監督伊丹マンサク氏の言葉「だまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも雑作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。このことは、過去の日本が外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することが出来なかった事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかった事実と、まったくその本質を等しくするものである」。

「忘却と言う名の暴力」・・・。
 私は議会で、小中学校での戦前・戦中・戦後の歴史教育を時間をかけてやるべきだと主張しています。歴史から学ぶべき最も大事な時代だと思うからです。
 ところが、現状は古代から始まり、現代社会は「時間がないから」と、はしょりがち。裏を返せば、戦中の事に触れたがらない印象があります。(歴史教科書問題はあるにせよ。そうであるならその部分は「まだ諸説ある」とか言えばいいのではと思います。)戦争の恐ろしさを伝えなければならないし、戦後復興の大変さを学ばなければ今の繁栄の有り難みが分からないで生活する事になり、それは今後の繁栄に大きな影響があると思います。
 また、上記の印象に残った言葉は、戦争や憲法問題についてのみ言っている言葉とは私には聞こえませんでした。普段私を含め政治や行政に関わる者が言う言葉が本当に真実なのか見極める能力を、私を含め市民がどれだけ付ける事が出来るように普段努力しているかが、その後の私達の生活を決めていくのだとこの言葉を聞いて私は再確認しました(少なくとも合併問題の時私はそれを体感しました)。