2005年11月4日の活動

富士見小学校地域懇談会。
ふじみっ子祭り。子供達を見ていて、もっと頑張ろうと思いました。
校長。青空農園について。
子供会役員と打ち合わせ。

東京消防庁前ハイパーレスキュー隊長・巻田隆史氏講演会。
 
新潟中越地震のハイパーレスキュー隊の隊長は狭山市民。狭山市の誇り。素晴らしい講演でした。企画された実行委員会の方に感謝。
 講演会はまずハイパーレスキュー隊の活動・装備の説明がビデオを使ってあり、中越地震での優太ちゃん救出の説明がスライド・ビデオを使いながらありました。ビデオを見終えた時、会場は大きな感動の拍手につつまれました。
 優太ちゃん救出現場の山は私もボランティアに行った時山の目の前を通っているので、いかに救出作業が命懸けだったか想像出来ました。

 <講演内容>
 ハイパーレスキュー隊員は様々な資格が必要で、私は昨年1年間で6個の資格を取り、自費で40万かかってかみさんに怒られた(笑)。
 台湾地震の時も、国際緊急援助隊として行っている(成田に帰って来た時お子さんに迎えられている写真がありました)。
 中越地震での死者のうち、建物の中で亡くなった人の割合が4割と少なかったのは、雪国で家が強いからだ(阪神大震災では8割)。
 震度6の余震で、信号機がメトロノームのように揺れているのを経験した。
 優太ちゃん救出の現場に入る10分前にも震度6の余震があった。また、現場は山の上に亀裂が何本もあり、崩れる前兆を調べるのに隊員が亀裂の上に木の枝を置いて監視した(枝が落ちたら前兆)。救出には17名の部隊で山岳救助経験者などがあたった。
 もし山が崩れたらレスキュー隊員は川に飛び込ぶよう指示があり、その為他の消防隊は川の下流にもスタンバイした。救出現場の山の上には大きな岩もあり、崩れる可能性があった。
 優太ちゃん救出の記事を隊員に見せたら号泣していた。その涙が隊員を成長させる力になる。
 優太ちゃんを救出した10月27日は、ちょうど3年前の同じ日に交通事故があり、ガードレールが車に乗っていた女の子の足を突き抜け、女の子は家族も亡くし、その女の子(足は切断せずにすんだ)は10月27日を思い出したくもなかったが、昨年10月27日に優太ちゃんが救出された事で「10月27日は奇跡が起きる日」と思えるようになったと女の子から連絡があった。
 日頃の防災について。つぶれた家1件の救助作業は何時間もかかる。その時情報を持っているのは近所。“共助”が必要。

講演終了後、巻田さんにお話を伺う。
市民文化祭(中央公民館)、各サークルの展示を見る。
植物友の会の方にお話を伺う。
文化団体役員から生涯学習に対する市の姿勢について苦情聞き取り。
市民意見聞き取り。駅前整備。
夜はソフトバレーボール練習。先日試合を見て否が応にも気合が入る。