2016年9月6日の活動

ひろし事務所で【沖縄の三線(さんしん)】を初めて習いました。
 沖縄を自転車で走っている時、普通に三線の音色が聴こえて来て、文化が生活に根付いているのを感じました。
 沖縄以外で、これを感じた事は私はありません(ピアノはありますが)。

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【こち亀】は、私の睡眠剤でした。たいてい眠くて2,3ページで寝てしまう事が多いのですが(^^、マンガではお薦めです。連載が終わると思わなかったと言うのが本音です。
 40年間1週も休載が無いばかりか、こんなにも、今度出て来そうな最新の技術を題材にしたマンガ・メディアは無い(かなり取材をなさっている)と思うの で、ドラえもん・しんちゃんのように、原作者抜きでも続けて頂きたかったのですが、全巻とても楽しく読む事が出来、幸せでした。ありがとうございます。
 単行本サイズは、寝る前は老眼・鳥目で読みづらく (^^ 通常のマンガ本サイズが助かります(写真の赤い表紙のジャンプは、通常の週刊かと思ったら、こち亀だけでした。発売中)。

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誕生日メッセージを、ありがとうございます。
 100年という時間の半分を、生かさせて頂いております。感慨深いです。
 「今後は肩ひじ張らず、(頑張ろうとするのでなく)淡々と、するどく、2度と無い時を、頭を使って大事に」と思っています。
 40才が不惑と知られていますが、50才は『知命』=『寿命を知る』という事だそうです。平均寿命までを数えるとあと32年(女性は35年)。実際は誰にも分かりませんが。

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50才になった今日、100才の むのたけじ さん(埼玉県民)の番組を見ました。
 国会議員が軍部におもねる中、「日中戦争をいつまで続けるのか?聖戦の美名に隠れ、国民の犠牲で、曰く世界の平和、国際正義、道義外交、雲をつかむよう な文字を並び立て・・・」との民政党・斉藤隆夫議員の演説(昭和15年2月2日)は、すごいですね。しかし、翌日の報知新聞は軍部を擁護。戦前の報知新聞は残っておらず、国会にマイクロフィルムがあるのみとの事。
 スローガンがあふれているのは、今の日本も似ているかも知れません。
 むのさんは朝日新聞記者として、戦時中インドネシアで軍部・国政に都合の悪い記事(占領したアジアの統治方法)を書いて、軍幹部に「銃殺だ」と攻めら れた。会えない東条英機首相にも会おうとした。「センチメンタルな記事は書くな」と上司に言われても、学童疎開の親子の実態の記事を書いた。むのさんは、 終戦の日に朝日新聞の記者を辞めたが、辞めて責任を取ったのではない。
 「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目になる」と言う。
 「今のメディアに対してどう思うか?」との高校生からの質問に「頭のてっぺんからつま先まで、洗い流して、全部作りかえろ」。
 むのさんは、50才までに歯を全て失い、歯ぐきで食べていた(先月101才で亡くなる)。
NHKドキュメンタリー-ETV特集 アンコール「むのたけじ 100歳の不屈」
戦争をなくし 世界を一つに YOMIURI  ON LINE 2015年2月8日