2017年9月15日の活動

川淵 三郎 氏(JFA最高顧問・JBAエグゼクティブアドバイザー)講演(不動産保証協会 埼玉県本部主催。大宮)
 大宮・浦和をはじめサッカーファンはここに多いと思います。浦和の先日の試合では、1-4のところ、トータル6-4で勝ったのは、ACL・ルバンカップ出場の可能性がある。『大宮』の事はあまり言えませんで、これで話を終わらしてもらったほうがいいと思いますが(笑)、3勝2分けすれば、行けるのでは。
 メキシコ五輪(1967年)、釜本は絶好調だったが、杉山は変えろとマスコミは言っていた。五輪前、11連敗していた。選ばれない選手は、代表に勝てとは、中々思えない。ところが、メキシコで銅メダルを取った。
 1972年、ミュンヘン五輪から、五輪に出れなくなり、日本サッカーは弱体化した。有能な運動能力の選手は、野球に行った。1964年東京五輪で「サッカーのチケットは空いている」と言われた。サッカー協会にお金は無く、選手層はスカイツリー型で、有力な1人の選手が抜けて、世界から取り残された。アトランタ五輪まで28年間出れなかった。
 『プロ化』の研究は1988年から若手中心に始まったが、幹部らは「時期尚早」と言った。1万8千人以上入るサッカー専用競技場は日本に1つも無かった。日本サッカーリーグの観戦者数は当時500人なのに1万人と言ったり、サバを読んでいて、平均で千人入っていればいいほう。高校選手権のほうが余程お金が入った。活躍できる選手は10人くらいしかおらず、2002年W杯に日本が手を挙げてる事に違和感があった。ステップbyステップで行くとはどう見ても思えなかったので、最低限のハードルを飛び越えようと思った。飛び越えようとして失敗したって、失われるものは何も無い。7つのハードルを作った。バスケットBJも法人化がハードルだった。1万8千人ナイター設備のスタジアムを『確保』しろと言い、造れとは言っていない。ナイターだと、カクテル光線で何か起こりそうで、スピード感がある。そして何より、スタジアムにお客さんが入っている事が見えない(笑)。世界からなぜスタジアムが無いのかと言われていた。駒沢は病院が隣にあって、ナイター設備を付けられなかった。1990年イタリア五輪最中に、プロ化の意向調査。成功する可能性は無いとほとんどの人が思い、僕も成功するかなと思っていたが、やっちゃえやっちゃえと思った。20チームが設立意向(神奈川で4チーム)、10に絞ろうとした。清水は県レベルだったが、静岡にチームが欲しかった。『住金』をやめさせようとして「99.9%可能性は無い」と言ったら、「え?100%じゃないんですね」と言われ、何とかやめさせようと「(当初3千人の観客席予定を)1万5千人の観客席に屋根付きのスタジアムがあれば」とムリを言ったら、後日「造る」と言われ、困った。鹿島町は人口4万5千人のうち、住んでいたくないと2万5千人が思い、活性化が課題だった。どれほど観客が来るかと思ったが、チケットが“往復はがき申し込み”で、茨城県の往復はがきが完売になった。鹿島はボランティアの育成をやった事が無く、規範を「お客様に不快感を与えない」「アントラーズにマイナスにならない」「自覚を持って行動」の3つだけにして、大成功した。『ドーハの悲劇』W杯に行けないと、どの国も暴れたりしたが、日本人は何もせず、現地で記事になったのは、鹿島をはじめとするJリーグの文化。ヴェルディ武田には「クイズ番組に出るな」とよく言っていた。
 読売・渡辺社長に「川渕は独裁者。川渕が辞めないとJリーグは成功しない」と言われ、「独裁者に独裁者と言われ、光栄」と返した。「『地域に根差す』という空疎な理念は出来る訳無い」と言われ、ニュース・ステーションに呼んでもらった。渡辺さんに、居なくなって欲しいと思った。10年くらい経って、渡辺さんがいて良かったと思った。今は渡辺さんに理解して頂いている。現在、屋根付きスタジアムは全国に15、1万5千人収容のスタジアムは20、観客動員数平均1万人。グッズ販売を、音楽業界は命がけでやっており、プロ野球は90億円(西武40億円。当時)。Jリーグ ロゴマークデザイン料は1千万円で、もったいなかったが、300億円売れた。97年まで観客動員数は落ち込み、「チーム数を多くするからだ」と批判されたが、フランス五輪・2002W杯で持ち直した。その時「日本中で誰もがスポーツが出来る事が、Jリーグの理念。10チームが儲かるだけでいいのか」と烈火のごとく怒り、チームを減らす事にならなかった。今、東京五輪に向け、やっているのかと怒り心頭になる。
 『V』『W』が成功の秘訣。フォルクスワーゲンじゃないですよ(笑)。ビジョン。ワークハード。『前例が無い』『成功する訳が無い』とよく言われた。51才の時、ビジョンを持った。自分の為ではなく「世の為、人の為」と。何の為に、生きて、仕事をしているのか。若い時には答えられなくても、50を過ぎて答えられなかったら「これまで何をして来たの」と思われる。小学生では『三日坊主』だった。そろばん塾・英語も。妻・娘には「謙虚さが無い」「すぐ自慢する」と言われた。80になっても、直さなきゃいけない事がある。まだこの年だからとか、もうこの年だからとかではなく。不言実行では分からず、有言実行、皆さんの前で宣言する事が今の時代にマッチする。(以上)
 (講演会は終了したので、分かりやすく、チラシの日時を削除させて頂きました)